【sign】何かを得るには何かを捨てる?失くす時のワケ

2020/08/05

捨てる




得ること。


昨日こんなことが起こりました。以前購入した「枝豆ちゃん」というマスク(勝手に私が名付けているだけです)カラーが写真で見ていたのと(思っていたのと)全然違くて、ほったらかしにしていたんです笑。


それで購入したのがこちらでした。
https://plaza.rakuten.co.jp/rashikune/diary/202102240005/

しかし!その後、マスク事情が変わり、結局枝豆ちゃんしかつけなくなり。復縁。


3個目のマスクをポチりました。

そして、こちらのマスクの写真を撮ってる間に実は悲劇が起きました。
悲報!枝豆ちゃんが...いなくなりました。

こんな一連が昨日起こったんですよ。今日はそこを記事にしていきたいと思います。


何かを得ると何かなくなる?



ジンクス?

よく聞きませんか?ジンクスというのでしょうか

「何か得ると何かなくすものだ」
「何か得たければ、何か捨てないと」
「何かを得るためには同等の代価が必要になる」
「何かを得れば、何かを失う」


果たしてこれが本当なのかは、何を信じたいかによるものなので、それぞれだと思うんです。そうだ!と思う人は、そうだと思うサインのような出来事が頻繁に起こるでしょう。きにしてない人は、きっとそういうことを関連付ける考えすらがないということが日常においても多いのではないかなと思うんですよね。どっちがいいとか、悪いとか、正しいとか間違っているとかではないのです。


ただ、ニュートラルに人生や現象を見たときに思うのは、意外と人というのは「そういう瞬間をあっけなく、通過してたりする」ということが多いのではないかな?と思うんですよね。

例えば

ずっと使っていた愛用品があるひ壊れた。
→新しいものとのご縁の前触れ

仕事が忙しくなって充実してきた。軌道に乗った。
→1人の時間や大切な人と過ごす時間が減った。

失業した。
→実はやりたかったことをやってみようかと考えるいいきっかけになった。

振られた。
→自分に以外と目を向けていなくて自分をないがしろにしていたことに気づいた。

結婚したり家族が増えた。
→親戚や身内の親族が亡くなった。

飼ってるペットが亡くなった。
→夢だったことが実現した。



今回のマスクとのお別れで思ったこと。


私の例でいうと

枝豆色のマスクは気に入ってなかった。
一目惚れで水色のマスクを購入
しかし、水色マスクにはない魅力が枝豆マスクにあると気づく
枝豆マスクと復縁
復縁が叶ったのにもかかわらず
別の用途で使用しようとピンク色のマスクを購入
ところがそのピンク色のマスクに夢中になる間に
枝豆マスクが姿を消す。

これびっくりなんですけど8/4日丸一日、夜までそのマスクを肩身離さず持っていた(つけていたんです)なのによる20時ごろ帰宅したらピンクのマスクがネコポスで届いてて。そのピンクのマスクを開ける。その瞬間に。失くなったんです。。瞬間移動したのか?落としたのか?それすらもわからないんですけど。

人って失くしてから気づくこともあるんですよね。これは色々なことに言えることなのかもしれません。そこに存在しているうちは、あることは当たり前のように感じることでしょう。しかし、その当たり前というのは実はすごい確率で、現実化していることなのかもしれないということ。不思議ですが。

たとえそれが900円のマスクであれ、貰い物であれ、100万円のものであれ。みんな同じ。自分にとってそのものはどういう存在であるのか。




まとめ


ときに。

自分が大事にしているものをなくすというのはいくつになっても、慣れないもの、悲しさもあるものであるのではないでしょうか?ときにひどく落ち込み、しばらく立ち直れないことだってあるでしょう。逆に、得たものがとっても大きくて、それでうまくバランスが取れることもあるでしょう。

厄払いという言い方をする人もいるのかもしれません。そういえば今日、というか本当にさっき、この記事を書き途中で保存したまま夕食をとりましたが、全然グラスを割らない私が、なんと、不思議な割れ方で派手にワイングラスを割ったんですよね。それはそれは綺麗に割れました。

この記事のTOP画像は最初別の写真にしていたのですが、なんだかしっくりこず、さっきこのグラスが割れている写真に変えたのです。そしてその数分後に、グラスが割れた。これを偶然で片付けることは簡単です。だけど、ものの見方を少し変えて見た私は「あ、これはなんか私にとってまた、転機の前触れだわ」というサインで私は受け取ることにしました。

普段何気なくとっている行動パターンや、無意識の行動で人は日々色々なことを経験し、色々なパターンの日常があります。この間見た映画にそういう映画があって、名前忘れてしまったのですが。本当に電車の一本、1時間、その瞬間瞬間のちょっとした選択で大きく変わることがある。そして日々何かを「得て」何かを「失い」ときに、何かを自分で足して、そして「捨てる」こんなことがさも当たり前のようにしとしとと進んでいる。誰にもわかることはないだろう、1秒後に生きているかすらも。だから、目の前の「今」起きることは一つ一つ大事に選択して生きたいものだ。

今日もご覧頂きましてありがとうございます。


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