物事は意外とシンプルに捉えると、正解が見えてくる。

2020/11/15

片付け




どうする


こんにちわ。ちゃちゃ丸です。

すっかりすっかり久しぶりになってしまいました。 もう冬の訪れなのか?寒いではありませんか? そんなこんなの私は、おうちに引きこもっている時間が多く、家にいると楽天ROOMばっかりいじり、丸一日PCの前から離れない日が多いです。




最近の傾向として、いかに食事の時間を減らすのかというかんじ。それほど没頭し続けておりました。それでも一日が早くて早くて全然時間が足りません。お買い物マラソンで色々お買い物をしたので届くのが楽しみです。

 
今日はたまたま予定があったので、わざわざIpad PROちゃんを持ち出し、カフェでこの記事を書いています。WIFIがない所だとかけないのですが、つなぐのでてこづったものでメモ帳に書き出し始めて、今に至ります。 帰ったらこれをコピーして貼り付けようと思います。


それでは今日のお話は、物事がぐちゃぐちゃに絡まって、どうしようもない時に、そのお団子の様になった事柄や人間関係をあっちゅうまに紐解く。方法についてお話していきます。



1. まず初めに何が大事なのか。を明確に。





本当にざっくりですよ、大体のこと、出来事、人間関係、学校、勉強、習い事なんでもそうですが。なんのためにやっているの?お金のため?名誉のため?ここを明確にすることです。ここは忘れてはならないところですが、ついつい自分を置き去りにして、物事の外側を見がちではないですか?

ふとした時に、あれ?なーんのためだったっけかなと迷子になる。

WHYですね。

なぜそれをやるのでしょうか?

ここからです。土台の部分ですね。


友人であればなぜそのこといると楽しいのか、それが「損得」で繋がるようならばそれは偽りでしかないものになります。なーんとなくそのこといると自分に徳がある気がする。これで付き合っていても、長くは続かないでしょうし、お互いに何もえれないので、関係は薄いでしょう。何かあれば、あっさり裏切るようなそんな線の薄い間柄になるのではないでしょうか?


本当の大事な人間関係というのは、友人、恋人もそうですが、何かをしてくれてもしてくれなくても、そこに愛があるはずです。([そこに愛はあるんか?」ってCMありますよね?)


全く見返りを気にしない関係は、どんどん豊かになる一方であり。一方、奪い合うだけの関係で、見せかけだけを気にするような関係はいとも簡単に壊れることができてしまうのです。

2. エゴなのか愛なのか






一杯のコップに水が満タンであればあるほどに与えることがお互いにできますよね。別にその他の誰かが、そのコップに水を入れなくてもいいのですから、あふれそうになる水を与えることはできるわけです。


一方、奪いあったり、人に害のあることをしたり、人の足を引っ張ろうなどとするような人との関係というのは、自分の穴を見つけるとそこに攻撃を仕掛けてくる傾向にあります。一度くらいは経験があるのではないでしょうか?辿っていくとそういう時は自分の流れも色々ゴタゴタある時かなと思います。私がそうだったので。


例えば、今まで、すごーい!わーきゃー!だった有名人が、何かの騒動で、一瞬でその人たちが叩き出す。あれです。あれこそエゴですよね。


そもそも、そうなるということはね「本当に好きじゃないんでしょう!」って思うんですよね。ファンであったり、憧れの存在ほど、そういう山崩れのようなことが起こりませんか?それってつまりは、その人を憧れに起きすぎて、山の頂点に置いてるから。一瞬で砂に
なってしまうわけですね。


結構それって単なる勝手な好意だなと思うんですね。だってどんな人だって、同じ人間じゃないですか?有名人だって、色々な感情を持ち、色々な心境があるのに、過ちを、すごく大きく取り上げられますよね?その過ちだって嘘のことも多いじゃないですか?真実なんて、語られないのに、そのよく分からない情報を信じてしまうのは勿体無いのではと私は思うのです。

3. 勝手な期待はコントロール。





戻るんですけれど、そのくらいの情報とか悪そうな面を見ただけで心がざわつくのなら、それは「捨てちゃいな」だと思うんですね。それか「捨てるタイミング」なのかもということです。


占いとかと一緒ですよ!あなたには無理です!と言われて、諦めるような気持ちなら、そんなの「本物」じゃないのです。とっとと捨てちゃっていいし、捨てれるはずなのです。


掃除でいうならば、本物以外は「捨てても困らないもの」に該当してきます。ここを捨ててしまうのも手なんです。


もちろん、再三お伝えしている通り、なんでもこれはいらない!と捨てまくることは違うと私は思っています。それは裏の心理として、捨てることで自分も捨てようとしてるから。になります。際どいので難しいですが、何にも捨てられないと、捨てすぎるの間イコールつまり、適量の所持が私は心地いいです。

色々なことがあって「捨てれない」状況ってありますよね?そういう時はね、ものも人間関係もそうですが、簡単です「捨てるタイミング」じゃないか、「変化」する準備ができてない時です。その場合は、一個ずつやっていくしかないです。


お団子を一個一個、引っ張って、コネて。そうこうしているうちになんかハッと気づく日がきます。まあ私はそこまでいくと全部捨てしちゃいますけどね^^;本当に縁があった人っていうのは大丈夫です。繋がるようになってますから。



まとめ







そこからの一歩を踏み出せる勇気があるから、その状況はやってくるはずです。そこにざわざわ出てくる思考や、感情はエゴであり、恐れしか生み出さないものなのです。それさえわかって入れば、ピンチは絶好のチャンスであり、変化の時だということに気がつくことができます。


そのこんがりをスパッと取るには、その状況を自分で選択するのをやめてしまうつまり、その状況、人間関係なんていーらない!としちゃうことです。私の笑っちゃう?の記事でも話しましたが、ひどいことされたと多くの人が取るようなところで私は「褒められた」と喜んでいるわけです。おかげで私の人生はそれからそのような状況は一切ありません。それもそのはず「その状況」いらないけど?って、いらない宣言をしたからなのだと思います。



実にシンプルですよね。そんなバナナですが、これは本当でした。もし、あの時「ひどいことをされた惨めな私」と仮に受け取っていたとしましょう。もしそうしていたらずっとそのあとも場所を変えてもひどいことをされていた、かも?しれないですよね?


まあこういう状況になるというのも!何かのご縁なのかもしれません。けど、受取拒否はいつからでもどんな風にでもできる。それが面白いことなのでしょう。


こんがらがった時は思い出してください。

  • 自分はなぜ今、この状況になっているのだろうか?
  • この関係、もの、仕事はいるんだろうか?
  • なぜ捨てられないのだろうか?
  • それはたとえ認められなくてもやていきたいことなのだろうか?

その一つ一つが楽しさと豊かさであれば、結果は自ずと付いてきざるおえないのではないでしょうか?誰のために何をするのか?この問いにいつも自分の為にと答えたいものです。

それが接客であろうが、習い事であろうが、友人との関係であろうが。

自分が、自分らしくあれる。それが全てではないでしょうか。

何かの「成果」の為にがむしゃらになると途中で糸がプツンと切れる可能性がありますが、それを自分の為に、そしてさらにはもっと大きな視野で「物事」をみた時。ただただ「愛おしくて仕方ない」に変えてみることができてしまえば焦りもなくなり、苦だけでもなくなり気づいたら無我夢中になりますよね。

どういう意識を最初に持つのか、そこをシンプルに外側取っ払ってみて行くと面白いです。

もちろんそれが、お金を得ること!でもいいのです。

今日もご覧頂きましてありがとうございました。

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