【私の脱スピリチュアル時代】全ての依存心を捨て自分を生きる道がやっと始まる。

2020/05/17

スピリチュアル

私スピリチュアル辞めました。 

この記事はシリーズで書いています。わたしの汚部屋→断捨離→ミニマム化・全捨離→そして今日お話する、わたしがスピリチュアルを辞めた時期から新しい扉が開き、現在はすべてを終わりにし、自分らしく、片付けをしております。


今日はそのわたしがわたしを見つける大きなきっかけになった要となる脱スピリチュアル時代のお話です。

あくまで私の主観で私の心理状態から感じたことそして、私の通った道と考え方による私の実話のお話です。

スピリチュアルとは


そもそもスピリチュアルという言葉は断捨離と同じくらいによく聞く言葉なのではないかな?と思いますが、そもそもスピリチュアルってどっからどこまでか案外知られていなかったりするように思うんですよね。断捨離とミニマリストと一緒でなんとなくのくくりでまとめられてる分野だと思います。


イメージとしてはスピリチュアル=占いとか霊的なこと。目に見えないもの。が挙げられると思います。

正確なくくりは結構ボーダーラインが曖昧なのですがわたしが辞めたのはニューエイジ自己啓発ですね。自己啓発の中には断捨離も入っています。

いわゆる「あなたはこれをすれば幸せになれますよ!」というものすべてわたしは辞めることにしたのです。

どれからどれについては過去記事に書いておりますので気になる人はそちらを見ていただけたらなと思います。

私が4月に【スピリチュアル関連】のもので捨てたもの15個*まとめ

【脱スピ】無宗教って本当?私が「スピリチュアル一式」全部捨てた理由*この世の「闇」のカラクリ。大きな脱出。



わたしがスピリチュアルにハマったわけ




お部屋とメンタル


私が汚部屋の住民だった頃はまだスピリチュアルといわれるものを知りませんでした。闇雲にいつもの「不安感」と「HSP特有であろう繊細さ」と「流されやすさ」それゆえに依存対象はいつもありました。


そこでバランスをとるしかなかったのです。そのぐちゃぐちゃなメンタルと素晴らしく比例する汚部屋。これはこれで私のイイ思い出です。私のうちなる声はずっと発信していたのでしょうねSOSを。

大学の頃はダンスに打ち込んでいました。こういう好きなことをしている時というのはイイんですよね。だけど、まー恋愛はいつもえ?ってくらいうまくいかないものでした。もちろん私の心の「穴」に当時は気付いてなんていませんでしたから

きっかけ。


私はあっぱれな性格なので、「こんなに魅力的なのにいつもうまくいかないの?」くらいに思っていたんですね。笑、そう私は自分の心に気づかない天才。だったわけです。これ面白いんですけど、周りを見ていくうちにどんどん自分を見れなくなっていったのです。
そして、意識はどんどん自分から離れていくことに、、、。家系に絶対何かあるのでは?と思う自分の家の「不思議な出来事」そんなことを目の前で見ているうちに私は「この世には目に見えない世界があってそこに何か原因があるんだわ!!!」とスピリチュアルにハマっていくのでした。


最初は占い、霊視、チャネリング、タロット。いろんな人を周り回って言われたことをすぐに鵜呑みにしていました。笑、


もちろん!!それで、問題が解決するわけもなく、最初はいいんですよ、2、3日は「なんかスッキリした!間違ってなかったわ!」って思うんですね。だけど、一週間後になるともっと他の人にも見てもらいたいかも。と探し出すわけです。(これ、断捨離で物を捨てた後とおんなじ心理です)


で、これいつまで続いたのか、はい、断捨離を辞める前まで。ずっとです、何年も。何十年も。2020年4月までですね正確に言えばね。で、いいですが解決したこと1つもないんですよ。その年月の中でも頼らなかった期間も一応あります。そういう時は何かで忙しかったんでしょうね。

ハマっただけではなかった


ブログにこうやって書くらいです。もちろん人にやることもしていました。で、いろんなヒーラーさんに出会いますよね?その中で気づいたんですよたまに。「うわ、これは依存心の塊だわ」と。だけど自分がそうだとは「気づかない」というね、これまたあっぱれな性格ですよね。笑


エネルギーヒーリングとか色々なものに手を出しました。お金を得ることはしていませんでしたが、完全に金魚のふんですよね。誰かの考えたことをやるだけではね。その頃はそんなことを考えてなかったんですね笑私にとってはね、典型的な自分で考えられない、自分を見たくないからの現実逃避だったんです。まーそんな時期もあったわけです。

依存心がある限り人は自分で歩まない



依存してたのよ


残念ですが、人ってね、どんどん外側見る生き物なんですよね。内側見てるも〜んと言いつつ私はどんどんスピリチュアルにハマっていくのでした。


依存している時ってとってもわけのわからない感情になったり、自分の中身が空っぽな気になったり、人に対して怒ったりとかするんですよね。自分で歩めないもんだから、周りに依存するわけです。


その状態ではうまくいくはずがないですよねーそんな私の休憩所が「スピリチュアル」でふわふわすることだったんです。そこに入れば少しだけ心が安心する。それが依存している状態ですね。あーこんなこと自分が書く日が来るなんて思ってもいなかった。(感動)


他力本願

これですね、大好きだったんです。この言葉!!笑なんか困ったら誰かーだ助けてー私はここよー!ってですね。これがいいと思っていたんですよその当時はね。そんなもんですからずーと出口のないトンネル笑


こんなタイミングで気づいた。

最高のタイミングですが、コロナウイルスによって、パートの仕事をなくした私が始めたブツブツ呟くこのブログですよ。

これでブツブツつぶやいていたら、今まで散々インプットしかしてなかった私が、初?かもしれないアウトプット(今ではこっちのが得意!!!)してたらですね。あっけなく気がついてしまったんですね。前日まで普通にスピリチュアルなブログ書いていたのにですよ...^^;怖いでしょう?こんなことが自分の身に起こるのは、朝起きから蟻が恐竜になっていたくらいの衝撃なんですよ...(例えがひどいね)180度変わる時ってあるのです。前日までそんな感じでも。




私は私だ。それでよかったんだ。


なーんだ。

答えは案外拍子抜けるることがありますよね。だけど、そういう道を私が辿ることにはきっと意味があったのでしょう。「依存」というものは「自分で決められない時に」出やすい心ですよね。依存を禁止したところで、他のことに依存したり、禁止の反動で怖いことが起きかねないことがよくあります。


私はスピリチュアルに「頼る」ことをして、その回答に散々振り回されました。それは「自分」というものの内面を見ていなかった、自分というものがわからなかった。自分で決められなかった。


それは心に穴が空いていると思っていたからなのです。だけど過去の延長線上が未来ではありません。トラウマやカルマなども本来は存在しないものなのです。だって、あるのは今だけでしょう?なんの証拠もない「目に見えない世界」を信じることで救われる?助かる?

私の結論。

これはあくまで私のたどり着いた結論です。誰かに自分の人生を明け渡すのはやめにしました。その言葉を信じることより、自分自身を信じたいからです。あの占いが当たった、予言がどうこう、いい、悪いで判断する世界って限界がある。何も広がらない。


これもブログを書くようになって、自分で色々発想ができるようになりアイディンティティに変化が訪れたからです。今までの私は誰だったんだろうっていうね!笑


仮面を被っていた、私とでも表現しましょうか?ベリベリ削ぎ落とされてようやく出てきた私。もちろん、今まで費やした時間もお金も後悔はしておりません。それも大切な通過点でした!


その結果得られたもの


結果的に、あの自分の「不安」が嘘のように消えました。自分にとって自分の一部だと思っていた自分が実は自分じゃなくって、「自分を生き始めたら」その自分がいなくなりました。


本来の私は結局あっぱれな性格だったのかもしれません。これ、また一週間もして意見が変わったらどうしようと思ってましたがそんなことはなくここ一ヶ月、私は本当に生まれ変わってしまいました!!!


長かったよ長かった。あの汚部屋からここまで来るのにどれだけの不安を抱えて過ごしてきたのでしょうね!私は私でよかった。ただそれだけで、私は私らしくいられる今を過ごしています。遠回りはしたけれど、実にシンプルな答えにたどり着き。ブレない私の誕生です。ご覧の通りね散々ブレたんです。それが私なのです。




さて、次回は「断捨離時代終了」のお話。結局ね、そんなに捨てなくても、豊かにはなれることの証明です。


今日もご覧頂きましてありがとうございました。

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