実はこの考え方って正負の法則とか、因果やカルマとか、やったらやられるぞみたいな考えなのですが、なぜか日本人の多くにこの考え方が浸透しているように感じることがあるのですよね。
確かに、すごく最もそうなことは書いていますよね。いいことばかりの人生じゃ学びにならないそれも納得します。
陰陽についても私は足ツボ師をやっていた観点からもそういう世界はある、宇宙でも、そう、この私たちの「身体」においても、心でも。
昨日お話しした黒いわたあめさん(不安やエゴ)についてもそうです「両極端」が存在する。黒があるんだから白がある。昼があるから夜がある。これは間違いがないものだと思っています。
しかし、正負の法則や因果については思うところがあります。私なりの考えで記事にしたいと思います。
そもそも、そんな法則があったとしても
私が何か物事を判断する時に見るポイントは「これをすればこうなりますよ」「あなた幸せになれますよ」「それをしたらあなたバチが当たりますよ」とうたっていないかどうか。ここを見ます。なぜならば、その言い方をするものは「全てインチキ」と思っていいと思っているんですよね。その言い方をする時点で洗脳にかけていることに気付いた方がいいのです。
毎回言うくらい大事ですが、人のネガティブを刺激することこそ最も、お金になるので。
そう言う偽物はこの地球にどれくらいの力を持ち、存在しているか想像して見ましょう。偉そうに、言い切っている人が果たして本当のメッセンジャーでしょうか?答えは”いいえ”だと思います。
そう言う人にくっついている時期も大事な通過点ではあります。だけど、結局は、答えなんてものは自分の心にしかないんですよね。
いくらでも、今の現状というものは変わるんです。それから自分の捉え方も、心の中も、気分も、外見も変わります。そう。約束された「こと」なんてそもそもないのです。
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外側に「答え」を探しに行くたび
周りに光が見えなくなり、閉ざされると私たちは、周りの外側に何かの答えを探しに出かけることがあるのでしょう。そこで、出会う最もらしい言葉は、その時の自分にはさも、最もな回答として心に残るのです。
いつしか、何か新しいことをチャレンジしようとしても、これを始めるのだから、何かを捨てないとならない。何かを犠牲にしなければ。そうしないと「何かを失ってしまうから」...それが怖いから、わざわざ捨てなくてもいいものや事を捨てたりする必要はどこにもないのです。
私たちはいつしか重い「思い込み」や「概念」や「誰かの考え」を自分の中に取り入れます。それはその考え方が自分にとってしっくりするから自然にピタッと「自分」の中に入ってくるんですよね。
そしてしばらくしてその考えは元からあったような自分の人格になるのです。近くにくっつきすぎてそれが自分だと思ってしまう。
だけども案外その「自分」が何かを始める時にじゃましてくることも少なくないのです。このままでいいよ、安全だからと脳のシステムが動き出すからですね。
いろんな方法がある中でどれを採用するのか
例えば、相手がいる人を好きになって付き合ったとしましょう、ドロドロ書かれるアレですよ。世の人たちの話題に上がりやすく、人が人をたたく。けどそれだって日本という国では「悪」でそれこそ「誰かの幸せの上にたつ幸せなんてない」とか言いますよね?
けど、どうでしょうか?海外ではそれをたたきません。なんならそうなった時には愛が終わっているので、別れるんです。ずるずる一緒にいないんですよね。総理大臣が愛人を選ぶお国だってあるんです。笑
そして宇宙から見た時にはそれらは一切「悪」でも「良」でもない。そうどっちでも良いよ〜好きにしてよ。これが広い視野から見た物事になります。
白黒はっきりすることだけが大事なことではないんです。そうなるには意味があって、そういう経験が必要だったから。
だから、こういう経験をしたとして自分に対して自分を責めるなら問題は何か悪いことをして悪いことがあるに違いないと思うそこではなくって、そういう考えを本当に信じてしまっている「自分」に気付くべきなんですよ。
なぜなら、そんなこと起こるわけがないので。いいんです突っ走り幸せになると決めればいいんですよ。そこに「愛」があれば
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その先を切り開いたったる「勇気」とパワー
その後の自分に返ってくるものなんて誰にも何もわかりません。こんなことをしてしまったから何かを失うに決まってる。と思っていればもちろんそういう現実がやってくるのは当然なんですよね。だけど、どっちを信じ、どう思って日々を過ごしていても何かしらの「お試し」は人間ですからやってくるでしょう。大なり小なり。だけど、それを乗り越えちゃえばいいのです。出してくるお題のようなものなので。
それを過去を捨てきれずに「あの時のカルマだわ」「やっぱり私ってダメなことしたから」「やったら返ってくるよね」と深くため息をついてしまうのではないでしょうか。
因果になることも時にはあるんです。それは、自分が「何がなんでも欲しい!」とコントロールした場合ですね。動機が大事なのです。
その場合、勝手に苦しくなり、自分で壊れる可能性が高いです。
なぜなら無理をしているし、自分から離れていっているからですね。その状態は不安な状態で、自分の本質から離れてるのです。
まとめ
どんなことがあっても、自分というコマを進めて行くのは自分のみ。自分がそう思う、それを信じるのであれば「自分」という世界はそっちの方向へ依存して行くだけです。色々な考え方があったとしても、どれが正しくて、これだけが全てでもないはずなんですよね。おそらく「これだけが全て」ならば依存100%なので、何事も自分で決められない迷子になっているはずです。
何かを得るには何かを捨てるということわざもそうですね、そう思うならそうして見れば良いし。何かを得るには何も捨てなくても整理すれば良いという新しいことわざを作るもOK。
良いことがあったから、悪いことがあると思うなら、そう思っても、悪いことがあったから良いことがあると反転してもOKだし、良いことがあったからもっと良いことがあるに変えちゃっても良いわけです。笑
結果的に、自分の気分なんて、自分であげちゃった方が、世のため、人のためなのではないでしょうか。
あるかわからない目に見えないスピリチュアルを信じるも良いですがそんなことをウジウジ考えてる時間は、新しいことを考えたり、要らないものを整理する時間に使った方がいいのかもしれません!
なんでも「自分」に都合よく、ご機嫌になったもの勝ちです!!(ネガティブになる日も大事です。どんな自分でも、いいんですよ)