暑い。暑すぎる。
どうなってるんだ。
去年までクーラーなしで過ごしていた私も、ほとんどの日を今はクーラーの中で過ごしている。
冬は相変わらずストーブ派だけど。
扇風機はこれ使っております
この間ね、小学校の友人と、再会?再縁したんですよねー。
しかも、ちゃんとキューピットとなる人が現れて。
今日はそんなお話。
今、離れていて疎遠となっていても
とおもった翌日。バッタリとその人に関する情報が入ってきたりする。
連絡先も知らない
居場所も知らない
SNSも知らない
何も繋がる接点がないのに
人と人から出ている糸のような”えにし”は摩訶不思議なのである。
繋がりようがないからと言って諦めるのはまだ早い。
むしろ、諦め切った方が、案外あっさりとうまくいくものだ。
人と人は、学びが終わると切れる
どうにもこうにも、切れた縁を受け入れられずに月日が過ぎることがある。私にはそういう「また繋がれたら...」というのがあまりないので
必要なら世界のどこにいてもまた繋がるのだろうという考えだ。
だから、そんなに諦め切っているからなのか
本当にその辺でバッタリ!ということがよくよくある。
もはや私に会いたいと願う人が後をつけてきたのではないだろうか?というほどのタイミングだ。
駅のホームや、洋服屋さん、一番びっくりしたのは海外でもそんなことが起こるのである。
しかも、一度や二度ではない。
毎日のようにミラクルが起きるので、人とさよならすることはあまり怖くない。
自分は良くても、相手は違う
人間関係をよくリセットすることがたまにあるのだけど
リセットしすぎて、使う連絡先までけしてしまって困ったことがある。
そして、自分と相手とある中であまり相手のことを考えずに
「全然会わないし、連絡もないし」
消してもいい対象に入れる
自分の中では「あまり興味がない」だから消すのだけど
相手にとっては決して欲しくない。。。そういうことがあったりする。
でも長くにわたって連絡をとっていない相手なら
その相手は「自分」に興味がないんだという
勝手な解釈をする。
だからと言っても友達という存在は
そんなにマメに会うものではないし、連絡だって用事がなければしない
再会したとしても、関係が変わるものではない
「わ〜久しぶり!」また連絡が再開することがたまにある。長きにわたり「疎遠」となっていた友人だが、案外上っ面の薄い会話しかなかったりする。
久しぶりに、連絡が取れても、今まで以上に仲良くなって会ったりするようになるかというと違ったりする。
お互いの生活があるし、案外、話して、再開してそれで「満足」なのだ。
関係がガラッと変わるわけはないのに
人は「再開」「復縁」を喜ぶものだ。なぜなのかわわからないが、人は何かを失った気になるのだ。
連絡をたくさんとるわけでもなくても連絡先にその人がいるということが心の何かホッとする「何か」なのだ。
まとめ
人は、人生の中で、ほんの人ににぎりの人間としか会わない。たくさんの人に出会ったように見えるが、世界規模、宇宙規模で見たらほんとに一緒んの出来事で、数少ない縁なのだ。
日々、いろんな人に出会うと、連絡をとったりしないと「疎遠」に自然となっていって、縁が切れていくことが「普通」だったりするのだが
一つ一つを大切にコレクションのようにしたい人もいる。
でね、何が言いたいかというと、、、
結局、連絡そんなに取らないし、会わないんだったら
別に登録してなくてもいいんじゃないのかね?という私の考えと
それじゃ、相手の気持ち何にも考えてないんじゃん?っていうよその考えと。
いわゆる部屋の中にある「使ってないもの」と一緒じゃない?
使いもしない連絡先や、会いもしない友人
いるのかね?
という自問
あくまで私の考えなのですが
消した時に、同じこと思ったんだよね。
だから消したの。