何か、一つのことをやり遂げることが、人生にはたくさん訪れることがあるのではないでしょうか。例えば、学校だったり、資格習得のためのレッスン、自分の趣味の場での発表会、恋愛など。
物事には必ず扉が閉まり、はい、次へ行きましょう。そういうきっかけが訪れます。
今まで馴染んだ、その環境や、仲間達、仕事先、居心地がとてもよければよいほどに、その扉が閉じるのは悲しい。さみしい。そう思うことが当然なのです。
何か流れが大きく変わる時、突然の様に見えてそれは突然ではないのかもしれません。
8月は私はいろいろなことにチャレンジしていきました。そんな中で始まりと終わりを経験。人はこういう経験をすると目には見えないけれども一つのステップアップをして居たりするんですよね。
今日はそんなお話です。
閉じるものは「自然」の流れ。
小さい時、誰もが経験していると思うんです。大好きな友達が、転校したり、進学で離れ離れになって「またね」とバイバイすることが。その時は誰もが一生の終わりかのような悲しさに出会うでしょう。
大好きな友達が、いつも近くにいた友達が、どこかへ行ってしまう。そんな気持ちになるから。
だけどもだけどもどうでしょう?そのときは確かに、寂しさでいっぱいだったとしても、何年か月日が経つと、また新しい自分に合ったお友達や、恋人ができたりするわけです。
そう、何かが終わりを迎え、何か変化が起きると一つの扉は一旦閉じ、そしてかわりに必ず、あなたに合う、今のあなたに必要な流れや、人間が送り込まれるのです。それも近くにね。
思い返してみると面白いんです。人って失うだけじゃない。必ず何かを得ているということに気付くのです。
閉じることはまた何か始まるサイン
何かが閉じるとき、何にもなくなるということでは全くありません。それどころか、それがなくなることによって自分の中に空白ができるのです。空白というものは、空白ができることによって、新しいご縁が結ばれるようにできているのです。
ものがぎゅうぎゅうに詰まっていると、新しいものを入れることができないので、何かが勢いよく回ることはありません。
しかし、何かが終わり、そこに空白のスペースや、時間、人間関係ができると、人は今までは見えてなかった世界観、分野、ものの見方をすることがなぜだかできるようになるのです。
そうすると、今までは八方塞がりのように思えた負の出来事ですら、な〜んだこんなことだったの?と裏を返して、その出来事を気楽に捉えることができるようになってきます。
そう、何も悪いことなんてこの世にはないのです。あるのは自分の思い込みとものの見方だけなのです。
少し前の自分が思ったことが「形」を表す
覚えていないかもしれないのですが、今、自分の目の前に現れている出来事、人間関係、仕事、環境、恋人は、自分が少し前(人によって期間は変わるかもしれません)に思い描いたことです。そのまんまが、無意識に目の前に姿を現しているだけにすぎません。
だから、世の中全体が負で下がる時というのは、圧倒的に負に全体が思い込み、考え込んでいるという現れなのです。だから、時にテレビやSNSをみるのをやめましょうと言われているんですよね。だって7割は、あれですから笑。
なぜだか人間はもとより、そういうネガティブニュースに目が行きがちなのです。根本的にはネガティブに偏りやすい構造になっているので無理はない話ですよね。
ただ、もったいないことに、その逆に意識を向けていれば、人生なんてものは自分の思い通りに操れるってことなんです。シンプルに考えればそういうことになりますよね。
まとめ
何か、一つの扉が閉じようとするとき、人は、抵抗したり、寂しさに浸ったり、暗い気持ちになることもあるのではないかなと思います。私も大学の実習期間が終わる頃になると、もう、泣きそうな顔を隠すことができませんでした。笑たかが、1週間。期間は関係ないんです。1日でもすごくのうこな1日もあるし、一年でも。その中の内容が濃ければ濃いほど、自分の中の充実感は変わりますよね。
人生はそんな濃い時間の共有の連続です。ひとときの時間を、ご縁が強い誰かと過ごし、そしてその中でいろいろなことを学んだり、時にぶつかったり、修復したりと成長して行きます。
閉じる扉は、どう繕っても、閉じる。だけど、何かが閉じるということは、それ以外に新しい扉が開く前触れでもある。
だから前へ進み、新しい扉をまた開く。そのサイクルはバランスを取り合って、タイミングばっちりでなぜか訪れるのでしょう。
8月、私の中にもたくさんの、成長がありました。感謝とともに前進いたします。
何かが閉じるは、何かが始まる。なぜならそういうバランスで成り立っているから。