溜まっていたものは、必ず、表に押し出されることになっています。
例えば、便秘ちゃんは改善する時一時的にゆるゆるになったりどっさりでたりしますよね。
どんなことにもこの現象は言えるのかもしれません。
心も、何かが癒される時、その前に「ブワー」っと怒りや、悲しみがこれでもか!というくらい出てきたりする。
その一時的に「ブワー」となることを好転反応と言ったりします。
これは中医学の中で出てくる『めんげん』
注意なのは好転反応の場合は数時間や数日くらいで治るもの。
それ以上に長引くのはよほど溜めていたか、何か他の影響もある可能性があります。
出すから、やって来る「出来る」
出来るという言葉。先に出す。そして、やって来る。
面白い言葉なんですよね、掃除や片付けで必ずこの宇宙の法則に基づいていることがある。
これは何も掃除、空間だけの話でもなく。
愛するを先に出す。だから、愛される「出来る」愛されること。
先に損をするようなことももしかしたらあるかもしれない。
見えない、不安や、自信がないなということもある。だけど、私は!と、先に強く気持ちよく発せる感情。思いを怖がらずにも、伝えることはとっても素敵なことですよね。
たとえ、その恋が実らなくっても、私は、心から愛することができたという、喜び、それは、もう、何にも変えることのできないときめき。活力なのではないかなと思うんですよね。
人は何歳になっても、部屋にときめいて、家にときめいて、恋人にときめいて、推しにときめいて、動物や植物にときめいて、そんなときめきを大切にしていきたい。
平穏な空間にも過去は何かがあった
そう、今、穏やかな例えば神社やお地蔵さんとか一見ほっこりするようなパワースポット的な空間がこの地球には多く存在しますよね。しかし、そういう穏やかそうに見える空間こそ、大きな災害の印として、祈られた空間であったり、人々の災いがあったり今の私たちにはぱっと見ではわからない空間というものがあります。
つまり、過去というのは書き換わることができる。ひとがわからないくらいにその場所や、その人間、その空間の色などまでも「生まれ変わることがある」
部屋で言うとリノベーションのビフォーアフターなんかは多くの人が「勇気」と「感動」を得ますよね。あれは、住んでいる人の人格まで変わるのではないかと言うくらいの「変化」があるから。
規模は大きい物ですが、そう言う大きな工事でも「好転反応」はおきますが、私たちが一つのちょこっとした部屋の「変化」を起こしても体や心に反応が出るんですよね。
好転反応とは体や心に現れる
前置きが長くなりましたが(前置きだったんか〜い)好転反応とは、物事が良くなったり、負のエネルギー浄化の前に、一見すると「ネガティブ」じゃん?なぜよ?と言うことが起こること。
①弛緩反応 ...眠い、だるい
②過敏反応 ...発汗、痛み、腫れ、腰痛、めまい
③排泄反応 ...肌荒れ、目やに、尿の色がこい、吹き出物、発疹
④回復反応 ...腹痛、吐き気、熱
このような感じでそれぞれの反応が出るんですよね。
足ツボとかでよく言われるのはトイレの回数が増えたり、だるくなるとか言われます(私はお客さんにそう説明してました)これはゆるむ傾向が強い人にはあるもの。
でも次の日とかになるとスッキリしたりできるので典型的な好転反応。
体をケアしてその関連の部分だったら「好転反応」だ、ゆっくりしよう!って思えるので、まだわかりやすいのですが!!私が経験した「好転反応」はこういうものではなかったのでちょっと、その時を振り返りますね。
掃除後に私が経験した体や心の「好転反応」
お部屋に長らく使っていないものが多くある環境は、持ち主に多大な「ストレス」を与えます。その時にはわからないもので、なんとなく、まだ使えるから、高かったし、などと、そこに物を、居座らせ、時にたんすに閉じ込めたりしてしまう。万物に「魂」は宿る。物にも一つ一つ波動があるので、そう言う状態はあまり良くないことはなんとなくわかることだと思います。
私が祖母の部屋の片付けに取り掛かったのは第二段階は去年でした。
少しずつ、バレない範囲で、明らかにこれ使わないっしょ!!と言うものを売ったり、祖父の遺品整理などなど地味に取り掛かりました。
もちろん、それは愉快に軽快に。そこにやってやった感は0。楽しくね。
そして出会った好転反応ちゃん以下箇条書き
- 邪気の邪魔ってある!謎の怪我
- だるすぎて動けない日々続く(邪魔)
- ダニ?食らった?吐き気、食欲なくなる
- うわ!ご飯食べてるのに「めまい」
- iphone故障!!!
- 機械系が壊れる買い替えラッシュ(思わぬ出費祭)
- 車こすった。。。怖
- 腰痛で、掃除が出来ない(完全なる邪魔)
- 押し入れいじったらヘルペスが口に突然できる(塩風呂入ったら速攻治った)
- 尿の色が濃い
- 謎の発熱39度!うなされて眠ること翌日平熱(もちろんNo薬)
- 締めは、嘔吐
思い出せるのはこんな感じです。
書いてみるとやばやばで、邪気たちも、そう簡単には綺麗にはさせないんですよ。
長年住み着いて、居心地が良かったわけだから、どっから来たか知らない人間に、手を入れられたらそら〜溜まったもんじゃないのよね。(うん、うん、わかるよ)
それでも、立ち向かい続ける
これだけえげつない好転反応ちゃん達だったのだけど、どれもこれも回復は早かったの。
それってなぜかというと私の本気を試されてるんだと思うんですよ。
こんなに辛い目にあるんだぞ〜そろそろやめちゃえ〜みたいなお試し。
容赦無く試されるけど、その謎のモヤモヤゾーンを全速力で駆け抜けると、その先に見えて来るのは、大切にされたい物たちの気持ちや、磨けば救える物達のエネルギーが読めるようになってくる。
泥の入った水を、綺麗にするには、一回泥を全部出し切らないとならない。
水を足したって、茶色いままなのです。
この立ち向う時間軸、ゾーンというのは、このパラレルのゾーンごとを、「無」の領域に引っ張ってきちゃうくらい壮大なことなのだと思うんですよ。
可能性というものは「無数」に、そして「無限大」だとしたら、その「選択肢」しかない住民は、ただただ物からエネルギーを奪われ、気づいた時にはベッタリと邪気まみれ。
祖母を変えるのは絶対に無理なんだけど、私が研ぎ澄まされることはできるんだよね。
片付けられない「脳」の人間に「片付けなさい」「捨てなさい」ほど、耳の痛くなる言葉はないからね。
「好転反応」という現象は、長くは続かないけど、確かにある。
それは、私たちの体、心、もっというならば、エネルギーフィールド、オーラ、波動、チャクラなどなどは、日々、この瞬間も「環境」や人から放たれる「感情」や「思い」の影響を潜在意識で受けているから。
だから、切っても切り離せないのであ〜る。