色々なことが日々、訪れるでしょう。
挑戦をし続けていれば、失敗はつきものだし。
というか、失敗せずに成功なんて、できないからね?
逆に、失敗しまくってしまった方が、いい時もあるのではないのかなと思うのです。
一度も失敗したことがなくて、運よく?上へのしあがったとしても、慕われるリーダーになれるかね?
それよりも、失敗しまくったボスのが、なんか安心するのではないだろうか?
なぜならそれだけ、チャレンジしてきたってことだからね。
なんでも、迷ったらこの言葉でスカッとします
失敗してないならチャレンジしてない
失敗しない人はいない。初めから何でもできるのなら、それは人間ではないくらいに等しい。
だから失敗なんて何回でもしていい。
そういうふうに、周りが言ってくれたのなら、何人の人が救われるのだろう。
調子のいい時だけチヤホヤしたり、持ち上げるようなことを行ったりして、その人が失敗したり何か問題を起こすと、途端に態度を変えてくる人がいませんか?
この間見た映画の中でもそういう今現代のSNSのたたきとかがテーマに挙げられていて。
やれやれと思ったのです。
そもそも何でそんな薄っぺらいリアルが、取り上げられる時代になったのか。不思議に思います。
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人のバイオリズムはなだらかではない
波があるのが、これぞ人生。楽しいだけでも、悲しいだけでもない。一つ一つの選択で、ガラリと変わる。
あの時こうしていたらと悔やむことは無駄なのだ。
なぜなら、その選択はきっと間違いではなく、その時の最善だから。
その最善を、未来の自分が否定してはいけないと同時に、軽く発信できてしまう今だからこそ、一つ一つの言葉には十二分に気をつけなくてはならない。
人の成功、人の失敗。
それを、その時できたこと、その時どうしたら良かったのかそれを一緒に考えてくれる友達は貴重だ。
そしてそういう貴重な友達になることも貴重なこと。
物の見方が違うのは当たり前だ
ある人はこれは成功だ、だっていい経験ができたじゃないか。
自分のコンフォートゾーン抜けれたジャン、これは成功だ。
この失敗があったからこそ、クリアにできたことがある。
そんな物の見方をしてみる人たちがいる。
どっからどう見ても誰もかもが「失敗」ということもない。
そして同時にそれは、どっからどう見ても自分の力だけでのし上がった「成功」でもないことも知らせるのだ。
自分のメンタルにモチベーションを与え続ける人もある。
そして、そもそもその「失敗」も「成功」もその中に自分を知るパズルのピースがあるはずだ。
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まとめ
オリンピックでも、この人は、メンタル強いな〜と思う人がいる。それは、自分の不得意に気づく「失敗」から得る”自分の強み”を見出してくれるコーチを引いてる運の強さだ。
もちろん相性もあると思う
その段階までどうやってのし上がってきたのかは人それぞれだけど、多くの失敗をしてる人は、美味しい。
たくさん泣いて、たくさん悔しい思いをして、たくさん納得いかなくて
あ〜人間って感じがして、地球〜って感じがするのではないだろうか。