バランセ。
ドドドっと、色々また世の中の流れも変わる時が訪れそう。楽しみですね。想像していただろうか、10年前にこんなにスマフォが発展し普及することを、公衆電話をほとんどみなくなることを、無人のコンビニができるということを、オンラインであったこともない人と情報を交換したり、時に仕事仲間となることを。
毎日、ポジティブ。それはとても素晴らしい事ではあります。しかし、どんな人にもどんなことにも陰陽は存在しますね。すごいポジティブだけの人もいなければ、すごいネガティブだけの人ももちろん、存在しません。
私はどれも想像すらしていなかったけれど、時代の流れは常に常に、加速している。そして同じ「今」というかけがえのない時間も”二度と来ない”ということ。一見同じことのように思う状態や、懐かしい事や、懐かしむ感情も「環境」や「状況」メンタルの強さなどにより、捉え方も変われば、もちろん見え方も丸っと変わりますね。
足つぼ師をしていた(指圧も)私ですがそこで学ぶテーマは短期間でも「全て」習得したなと思っています。だから、さよならの時はある日ころっと来たのだ。そう思っているんですよね。そう、今日のテーマは「中庸」についてにしましょうかね〜
全てはバランスどっちもあっていいのだ。
それはなぜか、全てのことには裏と表があるから。表裏一体なのです。だからすごくいいことが起こるならその裏にはとてつもない「責任」や「時間」や使う神経、コツコツみつ重ねる努力、人と共有する時間を削る、無駄を削るなど、何かを必ず無くしてます。
よく成功者のほんに書かれているのかな?私は本を読むのが苦手ですし、流行に興味がないので、わからないのですが。私が思うことを書いてみますが。
しかし、なんか噂に夜と、ポジティブとネガティブのどちらかしかない生き物も存在するそうです。それがポジティブしかないのが「猫」、ネガティブしかないのが「虫」と聞いたことがあります。どうなのかはわかりませんが笑
猫は、うれしかったことしか覚えていないという本がありますが、それはこのことを書いているのかは読んでいないのでわかりません。表紙が可愛くて。
大事なのは蓋をしないこと。話すこと。
自分の中に思ってはいけないんじゃないかと思う「感情」というのは、思い浮かぶことがあるのではないかなと思うんです。
それはもちろん誰にでもありますよね。こんなことを思ってはダメだからと自分の感情に蓋をして、誰にも話さない方がいい。そんな風に思うこともあると思います。相手は相手の考えがあるし、全然自分とは違った方向から物事をみるので、わかってはくれないだろうと、心の下にどんどん詰め込んで、似たようなことも全てそこに溜め込んでいく。
腹に溜めると溜まっちゃうだけでしかないので、出した方がいいですね。結局それが自己肯定感が下がるきっかけになってゆきかねないからなのです。
こんなことを思ってはいけないんだと思うのは意外と自分だけかもしれない。思い込みなのかもしれない。色々なことを考えていくうちに、あ!こういう風に思っちゃってもいいんだ!と認めてしまうことで、友人などにこうこうこういうことがあってね、こう思っちゃった時もあったんだよね〜と笑いのネタにするのもありなのです。
もちろん、相手はよく選んだ方がいいですね。
どんな時も自分の見方は自分
それで、まーいっか、こんな自分いていっか、これも自分だもんね!と思うことができると、自分自身が一番楽になることができますよね。
例えば、体のケアでいえば、こんなものをたべてしまったら太ってしまうだとか、健康によくないであろう成分。といちいち表示をみていたらなかなかそれだけで、疲れませんか?
私も前はそうでした徹底的にそっちに偏っていたので、オーガニックに限る、添加物は避ける。そんな生活をしていましたが、結局偏ってて「楽しくないんですよ」心は乏しくなるばかりでした。
一見は豊かそうでしょうけれどね。ヘルシーみたいなのにこだわってる「自分」を認めたかった。だけだったのです。それって完全に他人軸の極みですよね。誰かにそうみて欲しかったんでしょうね。
そしてそんな自分は卒業したころ、セラピスト仲間は美意識や健康意識が高い人も多かったですが、そんなにケアしてる人たちも何かの拍子に体ボロボロになっててセラピスト仲間と話していました「気付くべきところってここだよね」と。
もちろん、添加物バンバン食べよー!ということではありません。
そんなに偏る、極端、そうなる理由がその人のその時の「心」の現れなのです。
まとめ
色々な経験をし、色々な感情を味わうことができる。それはとても素晴らしいことなのです。お片づけでもそうです、自分のベストを見つけるには、色々なことをやってみるのも手ですし、いろんな失敗があったからこそ、気付けることがあります。
面白いことにそれらは、いっときの経験の一つでしかないのですが、その後の人生に、影響が出てくる大事な宝物。
極端にものがあった時代を陽とするならば、極端にものがなかった時代を陰。そして私が、私の適量を所持、そしてじぶんで考えるようになった状態それは、中心。なのです。
人によっての正解があるのでしょう。そしてその時に必要な経験だからこそ、目の前に現れる。
過去は捨てることができません、そんな自分はダメだ、いやだと排除したところで、別の切り口からまた同じことを思うことがあるかもしれません。それよりも、ああ、こんな自分もいたのね、かわいいじゃん!まあいいじゃん!こんな自分がいても、願いも叶うし開運じゃん!と決めてしまえば、何も怖くなんてないのです。
蓋を閉めて、出さないようにするのは不可能。溜めると溜まり感情のゴミのようなものになり、そのネガ感情はゆくゆくは身体に症状として出現することとなります。感情って奥が深い。
病は気から。気が淀み→感情が乱れ→蓋をする→不調として表に出そうとする→その不調に意味がある。ここに気付くだけで、受け入れるだけで、人って変わることができるんです。
木火土金水この全てのグラフをみ出すのが紛れもなく「日々思うこと」や「思い込み」言霊です。全ては、お互いをバランスよく保つために、存在しています。難しいことはあまり頭に入れなくていいので
今日の最後はこの言葉で閉めますね。
まーいいーじゃん気楽に行こうよ♪
気楽、気が楽になる