さて、いきなりですが、なんだか、面倒で「取りかかれていないこと」がありませんか?これをやろうと思ってるけど、時間がなくて「今はできない」が続くこと3年とか笑。
そんなことがもし一つでもあれば今日の記事は少しお役に立てるかもしれません。
私も以前はこのような経験があって、最近でも「あっ」と気付いてしまう出来事がございました。
これ、なんか、3年に1回くらいある気がするですけどね「それさ、とりあえず出さないと何も変わらないよ?」って結構な憧れのお方から言われちゃう。私。笑
逆にすごいことなんですが、そういうお方の一言って、すごい「うあ!」ってくるんですよね笑
分かってる。すごく分かってる。だけど。。。この先は言えない私。
あ、また「私」やってなかったって。気付いてしまう瞬間。
やらねばはやれるから浮かぶ感情
まず、朗報をおしらせします。
この「やらねば」っていう分類ってねいくつかあると思うんですよ。
- 最初っから必要がないのになんとなくやらねばと思ってること
- できるから浮かぶ、やらねば
今回のお話として後者の、できるから浮かぶの方のやらねば。これなんです。そう、そもそも、やれないこと、超えられない壁であれば、この感情って浮かばないんですよ。できるから、叶えたいと願うんです人ってね。
よく言いませんか「叶うから、願望って浮かぶ」んです。つまり自分が、こうなりたいな〜と思うことは、全て「叶う」んです。叶う事しか人って「思い浮かべないの」
つまり「これやってないな」ってことは「これ、できる」ってことになりますよね。
現状維持を優先する脳のシステム
これはどこかでも話したかもしれませんが、大昔、人は、人に、くうか、くわれるかというね、すれすれの状態を生き抜いてきました。その名残から「今の方が安全だよ」というね、現状維持しましょうや〜というシステムを根強く持っております。
そのため、人と比べて、落ち込んで、コンプレックスが増えて「物事」を何か理由をつけて、先送りをするようになっているんですよね。それは脳のシステムが「私たち」を守ろうとしてくれてる、お節介なシステムなんです。
このシステム、どこまでもどこまでも付いてきます。
わたしたちをいかに変えないようにして、同じ状態を保つことができるか。そういうシステムがあるのです。
で、重要な掃除をしようとすると急になんだかわからないけど眠くなったり、やる気がなくなってしまったり。来客がきたり。
ある一定の成果まではどんなことも行くのに「その先」に突き抜けることができない。これを繰り返して、それがコンプレックスになる。こういうこともよくありますよね。
全てがだいたいで発信すればいい
完璧にならないと発信できない。あの人よりも記事が多くて、あの人よりもすごいことができたら。なんて、細かいことをぶつぶつとね言い出したら
自分にこの言葉をかけましょう。
「だいたいでいい」
このあたりというのは完璧主義の人には訓練が必要な分野かなと思うのですが、100パーセントまで待っていたらねもはや気づけば、100歳です笑、それか来世に持ち越しか?みたいな。
なので、なんでもいいです、身近なことでね全然適当でもいいので、とりあえず表に出してみる。こういう成功体験を繰り返していきましょう。
これね、面白いんですけど「本当に好きなこと」に関しては一番億劫になるんですよねえ。なぜなら「本当に好きなことこそ、誰かに悪く言われたりするのが怖いから」なんですよ。
私の場合、それが絵なんですね。だから、自分では、すごく自分の描く絵好きなんだけど、それでも、表に出せるのが怖くって仕方がない。だから、できることから始めようってして本当に小さいことから初めて見ました。
誰にでも少なからずあるであろう完璧主義。これが一番の足枷になるのは間違いないです。これがあれば誰かに自分の素晴らしい一面を知らせることすらできないのですから。。
それってもったいないことですよね。
まとめ
そう人はこういう、余裕がなくなると、行動を取るときに「先送り」するようになり、そしてそんな自分いやになってしまう悪循環をしがちなのです。
だけど、この脳のシステムを理解すれば、いたしかたないっちゃいたしかたないじゃん!と築くことができ、さらに、あ!まあだいたいでいっかな!と思って渋々の一歩を踏み出せたとき、思いもよらない、自分以外の存在からの「エール」と追い風が吹く可能性があります。
本当に好きなことをやるとき不安や比較はつきものです。だけどそれだけすごくやりたいことに出会えている自分、素晴らしいですよね。
完璧を求める限り自分の進む間口は拡大せず狭くなって行くばかりなのです。いくらでもいろんな方法や選択肢があるのに、それを見れないのでは勿体無いですよね。
一番踏み込めない部分、思い切って動かすことで運気は急に上がっちゃうかもよという話でした。これはお部屋も一緒なのかもしれないですね。それはまた別の記事に。長々と読んでいただきましてありがとうございました。