【再会】人間関係の断捨離は単なる自分勝手なだけ<それに気づいたら周りが変わった>

2020/05/30

私らしさ




再会。


最近は暑いですが夜はぞくっと冷えますね。窓を開けているといい風が入って来ます。そんな私は実はまた再会が続いているんですよね。いっときの衝動でしてしまった「人間関係の断捨離」。


今や断捨離を実践するのをやめており、人間関係も割と切らなくっても衝動にもかられなくなったんですよね。前は「人間関係リセット症」だったのか、これはあり得ず、このご縁ってもう私のこれからには必要ないだろうな♪って、大変自分勝手にもバッサリバッサリ切っていたのです。

今思えば過去の私にいってやりたい、「自分勝手すぎるよ」と。私自身はありがたいことにあんまり切られることってないもので。いきなり連絡が取れないとかあんまり味わったことがないんですよね。だから、わからないんですよ。というか切られるから自分だってバッサリ切っていいというのはまた話が違う話と思うんですね。よく考えて見たららね、私に対してお相手はなーんもひどいこともしていないんですよ。むしろ、私のことを好いていてくれる。


しかも、すごいのが前日にちょうど懐かしい写真を見ていたとのこと。すごい偶然ですけど。こういう偶然が思わぬ再会を引き寄せることというのはあるのではないかな?と私は思うんですね。スピリチュアルとかそういうんでなく、現実的な引き寄せるもの、こと、人ってあると私は思っています。


今私は、自分のしてしまったことを自分なりに反省をしているんですね。自分を責めるとかそういうことではないんです。その過去の自分も大切だから、その過去の自分すらも全肯定していくつもりです。自分の過去を責めるだけではなんにもプラスにはならないので。誰の為にもならない。


自分が変化するとき、周りも変わる



人って変わる。

よく人って変えられないっていうじゃないですか?確かに人に何かを述べたところで、そこにはコントロールが入るので、そういうときって言えばいうほどに「変わらない!!」っていうもどかしさを味わいませんか?だけど、人って変わることがあるんですよね。だってねよく考えて見えれば自分だって大きく変わることがありませんか?考え方とか価値観。好み、自分の判断。得意なこと。苦手なことが急に得意だったって気づくときなんかもです。


そう、自分が変わるのだから、相手も同じように変わっても何もおかしくなってありませんよね?


つまり、自分の意識や感情が少し変わっただけで、そこに集まるご縁や、周りの環境、仕事、実力、成果までも変わってもおかしくない。なら、その時にまたご縁があれば再会したりすることおって不思議ではないということ。


今回も私が、元気かな?って思っていたら、元気かな?って思って思い出してくれていて、こだまですか?みたいな現象が起きているんですね。なんか不思議なこと。というのは割と身近にも起きているんだってことなんですよね。


例えば今年の2月あたりから世の中も大きく変わって、少し前の常識は常識ではなくて、今まで当たり前だったことは、当たり前じゃなくなっている。袖、新しい当たり前が出来上がっているんですよね。


少し前はなかったですよね可愛くておしゃれで苦しくないマスクとかだって去年はこんなに種類がなかったでしょう?今や選ぶの迷うくらい。手芸やったことない人がマスク作って見たり、縫わなくってもハンカチでマスクにできる〜とか、もういろんなことが変化して行ってる。


テレビだってどのチャンネルつけても芸能人の自宅から番組が放送されているとかね。驚きですけど2月前はなかったですよね。


そして私だってバリバリ断捨離していた信者だったのに。今やその断捨離ごとやめて目を冷ましているんですから。

この世で出会うには意味がある



いろんな縁。

この地球という星で、出会うんです。どんな出会いであっても、自分にとって必要だから出会っているのだと思うんですね。

誰とでも仲良くすることが正しいと行ってるのではなくって、たくさんの人とあさーく付き合えばいいということでもなくって。自分の中でも正解は自分の中にあると思うんですね。


例えば、ちょっと嫌だなって思ったくらいで「ぽい」ってしちゃうのなら、まず見るのはその相手の嫌なところじゃなくって、自分自身なのです。


その相手を捨ててしまってもまた必ず、おんなじような嫌な人に出会います。これは断言します。よく嫌な人は捨てちゃえって!そしたら自分に会う無理がない人と出会うってさも本当のように書いている人を見ますがそれってただ逃げているだけ。ただ自分から逃げているだけ。だと今は思うんですよね。


自分自身のことを全部、いいも悪いも受け入れて、自己肯定感がしっかりあればそのようなことも思わないんだ。って気づいたんですね。だから、私のように繊細だったりHSPや、エンパス傾向に当てはまる人は物も人間関係も「適量がわからない」「所持すること」「所持しないこと」のはざまを行ったり来たりするのです。

よく、ミニマリストになって鬱が治りました。と言われる方がいますが、正直、自分を捨ててしまっただけです。誰だってものがなければ、いろんなものにぐちゃぐちゃにされませんよね。。。そこを逃げていること、逃げ切れていること。という表現になります。物理的に良くなったように感じるだけなのです。


だからものを所持するのは「恐怖」でしかないはずですよ。お部屋というのは確かに、自分の心を映し出すものです。私は汚部屋も綺麗な何もない部屋も経験済みです。人間関係だって、バッサリ切ってしまった。そして時には人間が周りにうじゃうじゃいた時期もあります。極端な経験をして今があるんですね。だから両極を体験するのは大事なことだったのです。

まとめ




自分のベスト。


私は自分のベストを知るために、様々な分野において「両極」を経験しています。その両極を思いっきり謳歌したからこその今の豊かさに出会うことができました。


人間関係においても、自分のことを傷つけそうな人や自分のことをとても愛している人ほど「捨て」てしまっていました。どちらも、怖かったから。


だけど、今、ちゃんと自分と向き合う、過去の自分も自分にとっての通過点だったと思うことができるようになったので、リセットの必要は無くなりました。


私がそれに気づくことができた時、ご縁があった友達との再会が不思議な流れで起こりました。人間関係の断捨離のほとんどは無意味です。逃げ続けても自分の内側は変わりません。


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