片付け日和。
昨日は家族から整理整頓の依頼が来たので、朝から行ってきました。なかなか気合のいる量でした笑。ズバリ何でもとっておくマキシムリストっていうやつですか?まあそんな分類分けは私にはそうでもいいのですが。
人の部屋を手伝うのは一切やめにしているのですが、それは「断捨離」という名のもののみ。片付けや掃除、お片づけという私の私らしいテーマでのお片づけとして手伝うことはよくあります。もちろんこちらからは手伝うと言いませんよ。頼まれるので仕方なし?にです。
過去に祖母の部屋を断捨離しまくって「大失敗」したので。もうね、人のものは「捨てちゃダメ」というルールがあります。なので基本捨てたりは私はしません。今日は私が人のお部屋の片付けを手伝う時にどこまでやるのかをお話ししていこうと思います。
私が人のお家の片付けでやること
鉄則。
まず私は断捨離実践者でもミニマリストでもありません。こちらの写真は無料画像の写真です↑。それを踏まえて、私がどんな片付けを昨日したのかについて思い出せる範囲で書きますね。
まず持ち主がどうしたいのかですよね。頼まれてもいないのに部屋の片付けをするのはいけないこと私は思っているので、頼まれたという設定で、話を進めると、まず、頼んだ時点で綺麗にしたいはずなのですよね。きっと片付けが得意ではなくって、得意そうな人に話したのでしょう。
1. 要望を聞く/主観を入れない
まず持ち主がどうしたいのかですよね。頼まれてもいないのに部屋の片付けをするのはいけないこと私は思っているので、頼まれたという設定で、話を進めると、まず、頼んだ時点で綺麗にしたいはずなのですよね。きっと片付けが得意ではなくって、得意そうな人に話したのでしょう。
片付けられない人は過去の私もそうでしたが、汚部屋であればあるほど、綺麗な部屋にあこがれを抱くし、汚い部屋の自分を責めたり、ダメ人間と思う傾向があります。過去の私もそうでした。
だけど、物が全くなく不便になるのもまた乏しい生活の始まりになります。もちろんこちらも私は経験済みです。なので、本人の意思をまず聞いてみるんです。
片付けを止めるようならその先に踏み込んではダメなのです。そして私の主観を一切入れません。だって私の部屋じゃないから。そこで、「入り込みすぎる」なら、それ一度ご自分の心理を見る必要がありますよ。共依存(特に親などであればね)の可能性大です。
2. まず、同じものをまとめて集める
はい、そしたらまずこれ、自分のお部屋と一緒ですね。やる分野ごとにわっさわっさ集めます。収集がつかない場合は、まず家具とかそういったものをどこか別の部屋に出して空間を作りそこにひとまとめにしましょう。
紙類は紙類。文房具。引き出しの中身もぜーんぶです。とにかく同じもの集まれーとやります。これ以前私が断捨離実践者だった時はですねーとにかくある程度捨てないとどうにもならんよなーと、「私」が見た「ゴミ」をね、勝手に捨てる、もしくは「これもいらないよね?」と、うんと言わせるような言葉でですね。
よくある断捨離のテレビのようにやっていたんですねー。一見すればその「バッサリ!」は大切!素敵!と思うのかもしれませんが今はそうは思いません。それらは「自分」と物との間で自分のタイミングでやってほしい物です。私もそうしたいから、いくら家族の部屋が汚くっても放置です。結局自分の勝手でしかなかったんで^^なので、私が踏み込むのはここまで、同じものをまとめて綺麗にしまう。
「これいらないでしょ?」「捨てるよ!」ではなくって、「これ何?使う?しまう?どうする?」などそのものに対してのものへの思い入れを聞きます。
3. 明らかにゴミのようなものを訪ねる。
「これいらないでしょ?」「捨てるよ!」ではなくって、「これ何?使う?しまう?どうする?」などそのものに対してのものへの思い入れを聞きます。
最近ニュースで掲載された、メモ帳を勝手に捨てられてしまって...という記事がありましたよね。。。断捨離実践者のとばっちりにあっている家族も実際にいるんです。
なのでたとえ私が「ゴミ」と思っても、本人にとってはすごく思い入れのある大事な宝物である可能性もあるんです。例えばそれがボロボロのスニーカーやサビは鍋や同じものがたくさんある小物であってもです。なので必ず尋ねます。捨てることが目的ではないのです。
例えば期限があるチラシやダイレクトメール、食べ物など(期限が切れてても食べれそうなものは本人の意思に任せまっす。私は結構過ぎてても食べちゃうので)
思い出の品は写真やパンフレットや小物など、もう買い直すことができるものはありません。
そんな私も今や断捨離実践者ではなくなり、それでもなお人におへやの片付けをしてほしいと依頼されたりされます。昨日久しぶりに人のお部屋を手伝いましたがその最中私は泣きそうになりました。
結局自分の心を自分で認め、自己肯定力が上がる、そして自分自身が「他力本願」を抜けたから、人のことがいい意味でどうでもよくなったんです。だから、自分の主観や考え方、誰かが考えた「断捨離」のメソッドを人に「こうした方がいいよ!」とか「捨てないと幸運になれないよ」なんて言わなくなったんですね。
断捨離を断捨離し、私は、真の自分に出会ったわけです。そういう自分に出会ってしまうともう、外はどうでもよくなる。だからこそ、程よい力で俯瞰できるわけなんです。よくよく考えたら人にキツイ人って自分を責めているんですよね。←これ過去の私。
お互いに気楽にいられるのが一番いいし、リバウンドしません。ダイエットも、掃除もなんでもそうですよね^^今日もご覧いただきありがとうございました。
4.期限が過ぎているもの
例えば期限があるチラシやダイレクトメール、食べ物など(期限が切れてても食べれそうなものは本人の意思に任せまっす。私は結構過ぎてても食べちゃうので)
そういう、一見忘れがちなところのチェックをしていきます。なぜなら以外とこれらは忘れがちであり、もしかしたら、スペースが空くかもしれないので。
ただ、このタイプの方はね、またすぐぐちゃぐちゃになるので、その状況を悪いとは多分思ってないんですよ笑だけどたまに片付けてみたい、けど自分ではできない〜他力本願。
つまりそういう人が自力でやりだす可能性はほとんどないのです。汚部屋とゴミ屋敷は近いように見えて結構ほど遠いと思うんですね。結局最終的には自分で変えていくしかないのです。
今使っていないものをしまうとだいぶ部屋に空きが作れるはずです。ただ汚部屋の人は何かないと落ち着かないので、クッションオンクッションになっていたり、なんか、余計なことをしているんですよね。枕のカバーにカバーにさらにカバーとかで結果ごちゃごちゃしている。おそらく心配性であったり、不安症なのでしょう。
5.使っていないもの/シーズンもの
今使っていないものをしまうとだいぶ部屋に空きが作れるはずです。ただ汚部屋の人は何かないと落ち着かないので、クッションオンクッションになっていたり、なんか、余計なことをしているんですよね。枕のカバーにカバーにさらにカバーとかで結果ごちゃごちゃしている。おそらく心配性であったり、不安症なのでしょう。
春が終わったら春物捨てちゃう!っていう「全捨離」という方法を実践されている人もいますが、そのシーズンものをしまう場所を作り綺麗にしまいます。別にたたみ方などもその収納場所の形式によると思いますので決まったやり方はありません。
6. 思い出の品は全残し
思い出の品は写真やパンフレットや小物など、もう買い直すことができるものはありません。
もしかしたら抜けた歯を取っておいている人もいるかもしれないし、好きな人の形見など、どれがどんな思い出があるかわかりませんよね。
なので、思い出のものだろうなっていうものもわかりやすくそういうコーナーを作りそこに並べます。自分ではノータッチということで本人に任せます。
私のお家も基本は雑巾がけです。なので、雑巾セットはいつもそばに置いて起き、ホコリやちりや汚れなどを拭き取ります。
穏やか。
以前の私は、断捨離を実践しており家族の部屋の片付けをしていても常に「イライラ」していました。人の部屋を片付けてイライラしてました、「なんでこんなゴミ」とっておくの?「何に使うの?」「こんなんじゃ片付かないよ」いろんな体力、気力を使っていたのだと思います。言われる方だってすごくストレスだったと思います。
7. シンプルに雑巾掛け
私のお家も基本は雑巾がけです。なので、雑巾セットはいつもそばに置いて起き、ホコリやちりや汚れなどを拭き取ります。
まとめ
穏やか。
以前の私は、断捨離を実践しており家族の部屋の片付けをしていても常に「イライラ」していました。人の部屋を片付けてイライラしてました、「なんでこんなゴミ」とっておくの?「何に使うの?」「こんなんじゃ片付かないよ」いろんな体力、気力を使っていたのだと思います。言われる方だってすごくストレスだったと思います。
そんな私も今や断捨離実践者ではなくなり、それでもなお人におへやの片付けをしてほしいと依頼されたりされます。昨日久しぶりに人のお部屋を手伝いましたがその最中私は泣きそうになりました。
なぜだと思いますか?「自分の平穏さ」に驚きが隠せなかったのです。自分の中の感情が「どんなごちゃごちゃな部屋」を見ても全然イライラしなかった。そして人にこれ捨てなよ!なんて一言も言わない私がそこにいたんですね笑。
結局自分の心を自分で認め、自己肯定力が上がる、そして自分自身が「他力本願」を抜けたから、人のことがいい意味でどうでもよくなったんです。だから、自分の主観や考え方、誰かが考えた「断捨離」のメソッドを人に「こうした方がいいよ!」とか「捨てないと幸運になれないよ」なんて言わなくなったんですね。
断捨離を断捨離し、私は、真の自分に出会ったわけです。そういう自分に出会ってしまうともう、外はどうでもよくなる。だからこそ、程よい力で俯瞰できるわけなんです。よくよく考えたら人にキツイ人って自分を責めているんですよね。←これ過去の私。
お互いに気楽にいられるのが一番いいし、リバウンドしません。ダイエットも、掃除もなんでもそうですよね^^今日もご覧いただきありがとうございました。