物や人間関係を捨てたとしても、過去は捨てられない。

2020/09/04

捨てる




いるいらない。

なんだか、最近は新しい人との出会いや、新しいこととの出会い。バーっとドアを開けるだけで色々な情報や人間関係。そして新しい仕事のスタイル。などが、ダダダダーと入ってくるようなそんな流れがある中で、古いというのかな?出会ったのが古い人や、久しぶりの人や懐かしいこと。との「再会」や「再開」も多いような気がするものです。


もちろん、そんな中でね、全部。全員。自分の時間の中に入れるとそれはもう、動物園の飼育員みたいになることも予測されるわけです。(?)何が言いたいのかというと、なんでもかんでも、仲間であったり、続けていくこと。にはならないんだよな〜ってふと思ったんですよね。


どこかで、何かを「得る」には、何かを「捨てる」も無意識にやっているんだよなって思ったんですよ。それは全然、今まで語ってきた、断捨離や開運!という方法ではなくって、私なりの、私の方法でのことなんです。


何を得るのか、そしてそのためにはどんな目標設定が必要で、どんな仲間たちが必要なのだろうか。例えばね、それで、大勢浅く付き合うのがいいのか、深く狭く付き合うのがいいのかは人それぞれ違ってくるのだと思うんです。


自分が心地のいい付き合い。趣味であっても趣味友出会っても、常に、ほどよい「付き合い」を出来事やもの、人と築けると生きやすいですよね。


自分と相手はやっぱり違って当然




南と北


例えばですけど、南の宇宙人と、北の宇宙人だったとしますよね。(どんなだよって話なんですが)そんな時に、北の宇宙人は寒くて人と語るには暖炉がないと無理。一方の南の宇宙人は暑くって、クーラーがないと人と語る余裕がない。そういうくらい、きっと違いがあるはずなんですよね。


育った場所がどうであれ。今自分の身の回りにいる人だって、それぞれの「スタンス」を持っている。SNSで毎日投稿を見て生きているのを確認している人もいるでしょうし、逆に、SNSもやらずに、ドライに一人の時間を楽しむ人もいるでしょう。


どっちも間違いではないですよね〜?ただ、スタンス/種類?/考え方が違うだけなのです。ちなみに以前の私は圧倒的に後者に近かったんですね。何度も書いている通り「人間関係の断捨離」って素晴らしいって本当に思っていたんです。自分勝手に、少しでも嫌だ!と思うところがあったらバッサリ、なんの連絡もせずに切っていた。それが過去の私なんです。


だけど、人間ってどこでどう変わるか、本当にわからないものなのです。きっとね「コロナ」をきっかけに結婚が増えたり、旧友と再会したり、元彼/元カノと復縁も増えているんじゃないのかなーって思います。


それが、後ろに戻る行動と思う人もいれば、それは、素敵なことだなって思う人もきっといるのではないかなと。

ウェルカムだってね




だからといって、誰でも友達うえ〜いみたいな感じでもないんですが、面白いんですけど、自分から切らなくなると、切ることに対しての「後ろめたさ」が一つ、消えるんですよね。これは結構ものすごい変化なのですが。


誰かを切らなくなるっていうことはイコールで自分の自己肯定力のアップにつながっているし、相手を認めるっていうことは自分を認めるっていうことにもつながっていたりします。


縁があれば結局またどっかであったりするよね〜っていう話なんですが。これものに対してや出来事に対してもそうなんです。自分から切らなくっても、時期がくるんですよね勝手に。それをわざわざ「捨てかつ!」と題しなくってもさ。


ブログをやっているとね、ついつい、テーマにしたくて、記事に書きたくって、ネタにするためのことを日常の中から無理くり見つけ出しがちです。以前の私がそうでしたが、面白いけど困っていたり、する時のが「記事」ってかけるんですよね〜笑。


だから、何がいいとか悪いとかでもないのかもしれないです。前回記事に書いたように、2極にするのを「捨てた」時。人って誰よりも自由になれる。と思います。


まとめ




らしく生きる

でもここまで生き方が変わった私にも、もう関わるつもりないな〜という人はいないわけではなくって。切ってはいないけど、再会は望まない。だけど、なぜかすごく好かれてはいるっていうのがちらほらあったりします。悩ましいです。


だって私は再会は望まないのでね。で、最初の方のテーマに戻りますが、みんなが同じ熱量やスタンスではないのを、意外と忘れがちなんですよ。だから、私も、そういう風にならないように気をつけよ〜と思ったりします。だけど、後ろめたさは無くなってきましたよ。


自分が関わりたい時に、関わりたい人と関わればいいのですよ。


で、断捨離でものを捨ててスペースを作ったとして、そこにいいものがくるとは限らんよ〜とも思ってます。前にお話ししましたが、それは単なる自己満足であり、いっときのドーパミンの作用。だからです。空白があることはとても素晴らしいことだとは思います。だけれど。目的が何かを「忘れたかったり」「後ろめたい感情」を無意識に感じまくっていたり、「開運」だったりするのはなんか違うのかもね〜とも思ったりします。


なぜなら、過去は捨てれないし、捨てる必要がないから。過去も現在も未来も同時に存在しています。らしく行けばいいんです。


今日もご覧頂きましてありがとうございます。


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