誰かのせいにしてる限り道は開かれないワケは実はシンプル。

2020/08/27

感情・心




秋か?

今日待ちに待った大雨かと思ったら、すぐ止んでしまい、がっかりのわたくしです。暑い夏も早いものでひと段落となるのでしょうか?窓を開ければイイ風が吹いてくるし、耐えられない暑さでもなくなってきましたね。


くーらーがもともと苦手なので、扇風機ちゃんと、ヒヤミストくんと。過ごしております。ヒヤミストくんただいま売り切れ中です。さすが、ヒルナンデスに出演すると売れてしまいますよね〜〜。私もあの時購入しておいてよかったです。


さて最近は50枚のマスクも499円ほぼ定価に近い?価格に戻ってきましたね。


あとは、私たちの日常が元に戻っていくのを日々少しずつ受け入れていくことが大切になってきますね。あの時は、当たり前だったことも今や当たり前じゃなくなっている。だけど、それらはひっくり返して見てみてみれば、またどうにでもひっくり返ることがちゃんとある。ということになりますよね。


そう、人間というのは「現状維持」が安全だと思っているそんな性質が備わっているからなのです。


今日お送りしますテーマは、誰しも通る道。「誰かのせいにする」ということについてです。

誰かのせいにする正論言い合い




どちらも。

喧嘩とかしますよね、猫たちだって、人間だって、些細なことで振りかざす「正論」あなたのせい、世間のせい、日本のせい。


今だといくらでも「コロナのせい」にできるのではないでしょうか?何かとくっつけて発散しやすいですよね?全てコロナのせいなんて言ってももしかしたら間違いではないくらいに、世の中をごちゃごちゃにしたのはも違いがありません。それは確かです。


しかし、どうでしょうか?全てコロナが悪いのでしょうか?いいえ変えると、それは自分にとっての「外側」「他人」「出来事」全てにおいてになります。


誰かや、何か、出来事のせいにすることは実はとっても「簡単」で、そして自分を傷つけないように守ることができますよね?


全ての「責任」を転換できますし、なすりつけることができます。そして何より誰かのせい、何かのせい、できことのせい!だ!としてしまえば「自分が何かを考えなくてすむ」済んでしまう。そういうことになるのです。


時には誰かのせいにしたいことだって生きていればたくさんやってくることはあるのでしょう。だけどね、一度立ち止まってみるとイイですよ。なぜなら「やったことというのは必ず自分に返る」「繰り返すことになるだけ」なのですから。


なぜだと思いますか?

どっちもどっちという言葉。



同等

例えば、自分がされたと思い続けて、誰かに対し「憎しみ」があったとしましょう。これ私の知人にこういう人がいるのですが、一人の人をすごく「憎んでいるようなんですね」けど、憎まれている人は何にも悪いことしてないということもあるんです。


これ、前回の記事にした「助かりたくない人もいる。「助ける」は捨てていい。」とちょっと精通しますが、「助けを求めていない人」に手を出すことでなぜか逆恨みになることもあるんですよ。


「良かれと思ってやった」のにですよ?良かれと思うことが「助かりたくない」「誰かのせいにし続けて生きて生きたい」=「自分で自立して生きることが怖い人」にとってはね「クレーム」もんになるわけなんですよ。クレームもそうですが、クレームする人って今日の典型に当てはまりますが「誰かのせいにして生きて生きたい人」です。必要以上のクレームに関してですよ。黙っていたらいけない時もあるので。


つまり、こんなことされたー!と言い続けたい人って周りにいませんか?観察してみて欲しいんですが、そこの沼というのか渦から抜け出したいわけではないんですよ。。。そういう人間も悲しいですがいるものなのです。で、そこから引っ張り出そう!と頑張っちゃたりすると化学変化でなぜかね「恨み」や「怒り」に変わるんです。不思議でしょう?だから人って助けちゃいけないの。

助かりたくない人もいる。「助ける」は捨てていい。


された側は次の瞬間ではする側




そもそも

その正論を振りかざした瞬間に「する側」になるんですね。つまり、する側っぽく見えていた人も次の瞬間では「された側」に様変わりする。ようはどっちもどっちだよということなんですが。こういうときって一体全体何が起きているのか?



例えば離婚騒動を例にあげましょうか。一見浮気された「女」がされた側見に見えますよね?どう見てもそう見えますか?


実際は、もうね、そうなるには当の二人の間での「ずれ」がだいぶ前から始まっていたんですよ。ただそれだけ。そもそもがもしかして「女性側」の心にも「男性側」の心にも穴が空いていたんですよ。だからどっちもどっちなの。


そんな2人でも芸能人だったりするだけですごいいろんな人から「どっちが悪い」「どっちがかわいそう」「心配」などと色々なエネルギーや感情を飛ばされますよね?そんなん本人たちの問題なんですよ。


それをいちいち気にして、怒る人はね「する」「された」ゲームのパーツを自分のこころに強く持っているという証拠になります。あいつや何かや出来事も全て結局のところ「今の自分」の投影にすぎません。



愛するから愛される。と言いますよね。
これすこし間違えている人は、助けたり、尽くすから愛されると思っていいたりするんですが。その時点で自分の軸が実はないんです。これは似ているようで全然違うものになるのです。



まとめ



シンプル

実はそんなに難しいことではないのです。人と喧嘩をするなということではありません。言いたいことは言ったほうがいいんですよ。だけどね自分軸がないが故に「人の面倒」を見ているばっかりだったり、コントロールしたりするようになるともうそれは幸せな道からは外れているということになります。

なぜか、された側だと思っている/自分には価値がないと思っているイコール後ろめたい感情を強く抱えている。誰しも後ろめたさは持っているものですが、同時に自己肯定感もちゃんと持っていたいものなのです。

その正論をブンブン振りかざし何かあれば「誰かのせい!」「出来事のせい!」「コロナのせい!」と言い続けている限りは、幸せと思うことはできないのです。幸せは棚からぼた餅ではないんです。自分が誰かの害である限りは全部自分に降りかかるだけ


よくお金や恋愛にはこの自己肯定感が大事よ!って出てくると思いますが、本当に大事なことですよね。誰かのせいにし続けることも、自分のせいにし続けることも必要がないんです。これは今すぐ捨てていい思考ですよ。


結局はシンプルなんですよ。でね、周りにめんどくさい人がいて絡んでくる場合もあるでしょう?そういう場合は自分の自己肯定感のことだけを考えていればいいですよ。そんなの相手にしなくていい(笑)要は、その正論言い合いのリングに乗らなければ、もう出場権は来ないということです。


依存の関係は、破壊の一手をハイスピードで進んでゆくだけなんです。これが私がスピリチュアルを全部捨てたことの根本理由ですね。なんでもそうじゃないでしょうか?(セラピストをやめた理由もそうだな。。。)


自分で考えること、自分で選択していくこと。これが何よりの幸せへの近道です。そこに自分以外の「存在」(誰か、出来事、世の中)は関係がありません。

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