今日はのんびり記事を書こうととして書く気満々でいたのですが気づけば17時です笑。けどこれ、まだ17時じゃんともできる。そう本当にねなんども書くのですが、物事の現象を「どこから見るか」によって、日々の感情の荒波ってものすごく変わるものなのです。
人間、特に女性は「感情」の生き物。そんなことをよく聞いたりしませんか?男性は、感情というものは感じてはいけない、情けないのはいけないみたいな理性で止めることが根付いているので、重要なときに、本心がわからなかったり、それですれ違ったりということが起こるのはこのためなのですよね。
なんでも、未消化であると、根っこが残ってしまい、同じようなことは繰り返されるのですが、一個一個、味方をちょっとだけ変えて見たりするだけで、うまく相手に伝えることができたりとか、昨日の記事で書いた「イジケ」も必要がなくなってくるんですよね。
今日は、不要なものを大事に取っていないですか?というお話です。これはものでも出来事でも当てはまることなので、一緒に書いて行こうと思います。
実は、不要なものである4つ
例えば、何か生活を変えないといけない状態になったとします。病気をして、甘いものは食べてはだめ。になったりとか、太ってしまって、油物は控えないと、、とか、肌が荒れちゃったから、夜は早く寝て、たかーい美容液に、皮膚科。心が折れてしまったから、カウンセリング。などなど、私たちは意外と自分の人生の日常の楽しみをあっけなく奪われるようなことがあるのだと思うのです。
しかし、そこで、例えば、アレルギーで荒れたから、いきなり、小麦や卵はだめですとストイックな排除をしたり、そばアレルギーだから、うどん屋さんにも足を運ばない。など極端にやったところでその排除から、心が「不足感」に苛まれてはその後の人生って楽しくないですよね?そこで、結局的にあれ、そうしていくことで新たなストレスが増えてないですか?
1. 排除すること
そうなんです、排除をしなくてはならないことってあるかもしれないんですけどね、それをやり続けなければならないというのは自分で決めていることなんですよね。全ては自分が思ったことが現実になっているからなのですから。まず一つ目の不要なこと。それは何かを排除することです。私も前に、体調を崩したときにやったことがこの「排除」だったんですね。
その時は、体に添加物とか、化粧品でも自然派なものに極端なこだわりがありました。自分の肌荒れは、この「油」のせいだとか、なんでこんなにお金をかけて通っているのに痩せないんだろう。太るものは全部排除。それしかないと思っていたんですが、その逆だなーと思ったんですよね。こうやって自分に自分を苦しめることだけをしている方が「ストレス」になり、脳にいい影響なんて一つもないじゃないの!って思ったんですね。
お部屋も一緒です。これもこれもと全て排除してしまったら、排除し終わった後に、排除が止まらずに家まで捨てちゃった、自分まで捨てちゃった、なんのんために捨ててるんだろうまで行き着くことになるんですよね。それって自分の心の内側と向き合えていない状態ですよね。
なので排除すること、これを辞めました。
2. すべき
次はこれです、一度は使ったことがあるのではないでしょうか?なになにすべきだよねーとかというワード、ブログ一日一回書くべきだよねーとか、友達にこういうことをしてもらったからお返しすべきだよねーとか(逆にこんなことやってあげたんだから、こんなに感謝されるべきだよねーと思っちゃったり←私の一番嫌いなタイプ笑)上司にお世辞いうべきだよねーとか、肌には化粧水と乳液と、美容液塗るべきだよねーとかの「すべき」というワード。
人間というのは、本来は見返りを求める生き方というのはすごく疲れて「ストレス」になるものです。誰かと比べて自分はこういうところが足りてないから、セミナーに行って勉強すべきだよねーとかそういう"比較"からもこの「すべき」というものは生まれてしまうんですよね
けど考えて見てください。「すべき」ということ、気分ノリノリですか?ワクワクしますか?そこから何か「拡大」しそうですか?多分この「すべき」というワードを使う時っていうのは、本当はやりたくはないということがほとんどだなと思うんですよね。
お部屋の場合、ここにはこれをおくべきとか、いつも部屋は綺麗であるべきとか。そういうワードですよね。人間ですので、いつもどっから見ても完璧な訳じゃない。と認めることでだいぶ楽になれるのではないでしょうか?
世のお掃除のリーダーが素晴らしいお部屋だと、それと比べて「やる気」が出るのは素晴らしいことですが、それと比べて、落ち込んでからの「やらねば」だとおそらく長くは続けられないのですね。なんでも楽しくないと続けられない。
なので「すべき」を捨てました。
3. 回ってきた話
これこの間あったんですけどね、誰かを通して話が伝わってくる「話題」とか「噂話」ってあるじゃないですか?どんな場所でもあると思うのですが
- 誰かのすごい話(成果とか、報酬とか、レベルとか)
- 誰かの悪口(こういう人らしいよとか、性格とか)
- ゴシップネタ(芸能人の恋愛事情とか、騒動とかね)
これら、全部聞いてるとねー頭の中ゴミだらけになるんですよ。だって、それが「真実」なのかがまずわからないじゃないですか?回り回って、話の原型変わってるかもしれないんですよ。結局は噂話なんて大きく大きくなりませんか笑?本人が聞いてびっくり!みたいなね笑。
ゴシップとか、最近だと批判とかそういうのもそうですけど自分一人がさ「えーそんな人だったのー?」とかいったところで笑、その時間が勿体ない。何にも成仏しませんよねその気持ちって、ただの八つ当たりでしかない。ゴミでしかないです。人ってね、時間があると誰かと比べ出したり、ろくなことをしない。
だから、私は、回ってくる話を捨てました。
4. 他者との比較
そしてこれが一番要らないものです。1.2.3と少し重なる部分もあるのですが、1ばーん要らない時間、要らない片付けどっちにも当てはまるのがこの「他者」という存在なんですね。私たちはひたすらに、目の前のことを一つ一つこなしていくのですが、完璧に一人で成り立つ仕事もないですし、習い事なども様々な人間関係が生まれると思うんですね。
そこで誰しもいやでも他者と比べたり、自分はダメなんじゃないのかなと勝手に自分を卑下してしまうこともあるでしょう。ほんとは、捨てるのはこっちではなく、その人と比べるその時間こそ要らない時間なのです。比べていくと、なぜだか自分が下になる方に目がいくものですね。
お部屋でもそうです。お片づけのプロの方がたくさんいますから本とかブログとか見てる時はきっと楽しいですし、実践するのも最初はワクワクするのではないかな〜と思うのですが。どう頑張ったところでね、その人にはなれないわけですよ。
なので、その時間ってほどほどにしておくのがいいのかと思うんですね。憧れも度を越してしまうと、、、自分の意識、オリジナリティ、からズレていってしまう。そう、このブログのタイトルである「らしくね」ここからどこかにいってしまう、ただの追う人、他者の奴隷になってしまうわけです。
なので、私は、他者との比較を捨てました。