どこに何を書いたか、正直わからない状態でして、本について書いたのか?思い出せないので、書いていたら2度目になるかもしれませんが。
昨日、マットを捨てた後に取り掛かったのが「本」でした。書くと長くなりそうだったので、昨日の記事には書かずに分けることにして見たのです。
そう、私本大好きなんですよね。自分で本を書きたいという気持ちもあるので、本の書き方や、本の厚み、本の触り心地、めくる感じ、匂い、色褪せ具合。
雑誌であれば、なんかすごく遠い昔の流行に、一瞬でまた会える、そんな感覚があるんですよね。
だから、本棚は以前捨てたんですけど、本は本当に大事な物だけを徐々に減らしながら、取ってあったんですよ。
だけどそれも昨日で全部捨てることになったのです。それはなぜなのか?それが今日のテーマです。
大事にしている本こそ動かなくなる?!
服とかもそうだと思うのですが、大事なものこそ、大事にしまい込まれがち。そういうものこそガシガシ日々の自分に使いたいと思うのに、なぜだろう、そういう傾向があるのだと思います。おそらくその原因は自分の身の丈にあっていないから。それか、何かを後回しにしているから。かなと思うんですよね。
昨日、大事にしている本を何年振りにパラパラとめくり気付いてしまったのです。確かにその本は大事で、ペラペラめくると何年も経っているのに私がワクワクする色彩、センス、内容、記事の書き方、みているだけで楽しい。
そう、その本はまさに「買ってよかった」本だ。と思った。
しかし、内容、読んでいないのか、実は初めて読むページもあったりしたのだ。それか、私のことである”内容をすっかり忘れてた”可能性だって十分にありえる。
だけど、こんなに近くにあった本なのに、その内容や本は私との距離が遠い。そう感じたのだから驚いたのだ。
紙は多くのエネルギーや情報を吸収する
買ったばかりの雑誌や本は、印刷の匂いがするし、なんだかフレッシュ出来立て!!のワクワク感がある。誰もが感じたことがあるであろう、本屋さんに行くとなぜだかトイレに行きたくなったり。不思議な本の力。しかし、一年もすると、本はホコリをかぶったり、なんだか湿っぽくなったりしていき、それ以上に年数を重ねると古本の領域になって行く。
古本屋さんにある本を積極的になんの抵抗なく触れる人は気にならないであろうが、確実に、出来立ての本とはまるで違うものの雰囲気やエネルギーを発しているように見える。特に私は繊細(敏感)だったりするので尚更だ。
実はマットを捨てた後に押入れでつい、目に入ってしまったのが服でもなくこの「本」たちだった。そして、私はしばらく動くことができなくなり、ひたすらボ〜〜っとこの本たちを恐る恐るめくるのである。
そう、その「感覚」こそが答えなのだ。
私が昨日捨てた17冊の本
どのような本もその時はとても読みたいもので、そしてこれからも読みたいことはある。だけど、もしかしたら持ち主とすでに合わない状態になっている本もあるのかもしれない。私が今回捨てた本にはこのようなものがあった
元彼がくれたお土産(外国の雑誌)
私がパリが好きなので、パリジャンの元彼がパリに帰った時に、買ってきてくれた雑誌。もちろん私の大好きなフランス語。そしてファッションも写真も私好みで別れてからもとても捨てられなかった。日本でも買うことはできるけど、わざわざ、空港で重いのに何冊も買ってきてくれた気持ちが嬉しかった。本を捨てたというのは私の未練が100%なくなったから。
海外のインテリアの本
これまた、北欧やフランスの好きな私が捨てられなかったインテリアの本。これらは私が自分でお店で購入したもの。何度見ても好きだから購入したし、とってあったのだ。だけど、その部屋を見るのは楽しいけど、実際の部屋はそうなるとは限らず。単にペラペラ見るだけならネットでも、Instagramでも観れるかということで。
ファッション雑誌
いつの雑誌だろうというくらい古い雑誌、ファッション雑誌がやっぱり好きで、それも何度ペラペラめくっても飽きない。心から好きな気持ちはやっぱり変わらない。だけど、一年に一回も開かない本を置いて置く必要って?と考えた結果。
ムック本の冊子
マリメッコのムック本の冊子。。好きで、切り抜いたりして、ずっととってありました。笑。なんだろう、付録はとっくに捨ててたりするのに、冊子はずっと大事にしまわれていましたね。これも、好き100%だからこそ、なんの疑いもなくしまい込まれていた感があります。笑
などなどの分類で大好きな本だけど17冊を捨てました。結局今の所全部。
本を捨てる基準12選
意外と、本が好きというだけで置いてあり、コレクションが増え続けることもあるのだろう。だけど、開かれない本こそ気のどくなのかもしれない。私の判断基準はこれだ。
- 好きなのに開きたくない本
- 開くのにためらう
- 今後読みそうにない
- すでに内容を熟読している
- 内容すらわからない本
- 表紙買い(パケ買い)
- その時を思い出しナーバスになる本
- 古い本
- 湿った本
- ホコリを吸い込んでいる本
- 借り物など今交流がない人の本
- スピリチュアルの本
だいたいこんな感じです。よく読む本であれば、近くにあったり、日々開かれているはずだ。そうでないのならば、開かない理由があるはず。まだ理解できない内容だったり、自分にとって必要な内容でない、背伸びをしなければならない不自然な関係などだ。
スピリチュアルの本などもだいたいの場合は「今が不幸せで、未来幸せになりたい」などの欲が強い。それを持っているのは運気が上がるよりかは自分の依存が強くなり結果、うまくいかないように思う。
まとめ
まだここにあったのか!そう気付く所有物が意外と存在することに驚く。自分の身の回りはそんなに東京ドームのように広いエリアではないのに、なぜこんなにも向き合えていないものがあるのだろう。あってもなくても困らない分野。昨日はマットと本を捨てることにした。
明らかに要らないわけではない、そのものたちはどちらかといえば大好きな存在だ。だけど大好きだからこそ、大切に噛み締めて使っていない時、なんだか、その本がスネているようにも思える瞬間がある。
だから、押入れを開けたら「ボー」っとしたのか?なんて思うのだけど
人間に度々訪れる「ボー」や「モヤモヤ」や「イライラ」やっぱりこれは偶然なのではなく、何か重みのあることに遭遇するから人は考え、行動をしたり、視点を変えたり、変容していくのではないかなと思うのである。
そう、その答えは自分なりに、自分にとってはこうかも?と自分で考え、切り開いていくヒントにすればいい。
捨てても捨てなくてもいいものと向き合う。そんな時間も楽しいかもしれない。捨てたからいいとか開運とかではない。自分がどうしたいと思ったか考えるという時間が、とても大事なのだと思う。
私の答えとして、紙のエネルギーってあって、そこにはたくさんの文字や写真が含まれているので、ない方がスッキリするようなきがする。あくまで私の考えです。
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