影を追っても、いいことはなかった。そこから自分でどう切り開くのか?

2021/07/15

スッキリ 学び 脱スピ

実は、家族が、今流行りの"ヨボウセッシュ"で急変しました。検索で引っかかってしまうので、カタカナにしてみました。笑。

私個人ならもちろん打たないんですが、家族は入院していてほぼ、皆優先でという感じでした。それまでは食事も取れていたのに、打った日から、全身がむくんで、もう何も話すこともできない、息が苦しい、意識もない。という状況。


まさか、自分の家族が、今流行りの疾患ではなく"ヨボウセッシュ"で人生を終わるというのがびっくりしました...。今我が家ではその手続きをしています。


もちろん、病院側は、偶然だといいはります。皆さんも、ぜひ、気をつけてくださいね。実はもう摂取後に亡くなってる人数は現在わかる範囲で600人ほど出てるんです。外国ではもっとです。もちろん明るみにはなりません...。今もなお、何もどこにも言えず苦しい思いをしている人が実はたくさんいる。


で、うちの家族に関しては身体障害者として生まれ、精神疾患、依存症、そして内臓疾患。オンパレードでしたので、たとえ家族でも早くおいきなさい。と思うレベルでした。なので"ヨボウセッシュ"でもちろん一撃...。私としては、今回ばかりはよかったとさえ思っているんです。だって、本人が辛いでしょう。そのまま、寝たきりで、それこそ辛いですよね...。時には、見送ってあげたほうがいい場合もある。私はそう、思います。


長い長い試練も、いつかは終わる。

私がスピリチュアルにどっぷりはまっていた時。きっかけはこの家族、先祖。生まれた時から私はずっとなんかうちって変だなっていつも思っていました。


17歳の時に髪の毛が全部抜けて、その時に、一度目の転機。それは辛かったけれど、ゆくゆくは自分は、西洋医学ではなく東洋医学を世に広めたい。こんな方向に世の中全体がいってしまわないようにがむしゃらだったんです。

人間の体は日々、自分が作るものです。
人間の心も日々、自分が作るものです。


幸い髪の毛はすぐに生えてきてくれました。17歳にしてはすごくきになる出来事だったけど、今こうして文字にするネタとなれたことがものすごくよかったと思うんですよね。


そう、髪って神だ。とか、他者と、自分を繋ぐもの。色々な解釈ができるようなのです。もちろんストレスでしょって一言でまとめることもできる。結局のところ原因もよくわかってないです。その原因がどうこうというものを追い求めることもできるけれど、未来を自分で切り開いていくことができる。

しかし、私はそこからの数年、自分で決めるということをせず、スピリチュアルに現実逃避する方向へ入って行きました。

スピリチュアルをどう利用するのか

何かにどっぷりはまり込む。誰もが何かで一度は経験したこともあるのではないかなと思います。スピリチュアルの世界は、いわば、なんとでも言える世界です。


例えば
  • 守護霊がこう言っていますよ。
  • あの人には何か良くない影が。
  • 彼はやめときなさい。
  • 3000年前の家系がうんちゃらかんちゃら
  • あなたのカルマが。
  • それは悪です。

そこら中に怪しさ満載の人がいるんです。誰でも道に迷う時頼りがちですよね。


そう、そのきっかけが自分の体調や、変な家族でした。目のめえで霊的なものってあるんだっていうのを見てしまった私なので、その受け取り方に正直とても戸惑っていたんです。

そう「私がこの家族を救わなくっては!!助けなくってわ家系を綺麗にしなくちゃ!!」
そう、自分で勝手に背負った任務。特別感。そこに「自分の価値」を見出していました。


ここからねじれの始まり、歪んでいく。

大半はなんの根拠もないスピリチュアル

よ〜く考えればわかることなんです。ほとんど、プラシーボ効果なのです。経験ないですか?タロット占いとかで、同じ質問なのに、日によって全然変わったりすること。もうさ、その占い師さんの持ってる話術路受け取り方で渡されるものが全然違うわけ。


それがいいとか悪いとかでなく、全然受け取るのはいいですが、それを信じすぎて、行動を変えちゃったりするともう「依存」よねって話。


本当のスピリチュアルというものは自分で、切り開いていくこと。ここにしかないんです。


なんとでも言えるんです。占い師にもピンキリで、自分が落ち込んでいる時って自分より人間的なエネルギーが低い人のところになぜか行ってしまう。それでいて底なし沼。ネガネガワールド。思い出すとほんとそういう時って辛かったです。だって行き先も何もない沼。



辛いのもそのはず。自分という入れ物を見ないで外側に「原因」とか「きっかけ」とか何かを探してるので、そわそわも軸もない状態。

この状態で何もかもうまくいくわけがないんですよ。


入るきっかけも、抜けるきっかけも

そして、入るきっかけも、抜けるきっかけも今日の冒頭で書いた「家族」を見て私が思った、気づけた。これが本当にひそかに関連していたことに最近うっすら気づいたりしてました。


誰かに何かしてもらえば「私」きっと変われる
お金を払ってセミナー「行けば「私」きっと変われる
勉強して頑張れば「私」きっと変われる
ヒーリング受ければ「私」きっと変われる


そう代償を払えば「私」きっと変われる
そもそもがこの判断が大間違いでした。
(これらその家族もおんなじ考えだったのです。)

もちろん世の中にはこのような形で成り立つビジネスが多くあります。

だけど、そんなに難しく考えなくってももっと簡単な答え。

私は私のままでいいと認めること。
そして例え家族であっても、それはその人の問題だと線を引く(引ける範囲で)
それが結局自分で立つということに繋がるんですよ。

自分のエネルギーが高くなると勝手に様々なことはうまく回り出します。セルフイメージこそが全てです。

エネルギーが低い時の特徴は「私」とやたらと使う時らしいです。

まとめ

この世の中には色々な人が共に滞在しています。よく考えればすごいことです。誰一人として同じ顔の人はいませんし、同じ考え方の人も存在しません。


自分にとって良かれと思った行動であっても相手の取り方は自分には理解ができないこともあるでしょう。


病気も、弱りやすい場所も人の生活態度云々でも変わってきたり、回復もその人によって変わってきます。

誰かのことが深く気になるとき、実は気になるのはその壮大な背景ではなく、本当に知りたいのは「自分」のことであることもあるかもしれません。なぜなら周りに出す反応こそにヒントがあるから。


根っこをたどる道のりはきりがなく、とてつもなく長い長い迷路。

そこを知る、聞く、放つ。そんなことも必要な時はあるかもしれないけれど、そこをあえて知らず、自分で切り開く、自分を信じる。新しく自分が作り上げていく。それも今後の時代には良い発想なのかもしれません。

影を追っても、いいことはなかった。

抜ける時は一瞬です。浸っているうちは「自分」で考えなくていいからね。

私は考える。私のために。

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