思えば、思うほどに、その物事、願いは遠のく。という経験をしたことがありませんか?あ〜あのタルトどうしても食べたいと執着すればするほどに、その日に限って売り切れだったりだとか。前の人で最後のタルトだったり。
どうでもいい、自分の好みではないようなものはいつでも食べることができるのに...なんてこともあるのかもしれません。
どうしてなのでしょう。人は願いを願えば叶う。と言われてもいるのに。強く、強く思えば、なぜだか離れて行く、もしくは、なくなってしまうなんてこともあるのです。
「執着」というものは「これじゃなきゃ嫌だ」人であれば「このひとじゃなきゃ嫌だ」というこだわりのこと。お部屋の中にも様々なこだわりは存在しているとは思いますが、その中にもうそろそろ捨ててもいいんでないの?と言われるものも紛れていたりもしますよね。
その凝り固まる執着何事においてもない方がもしかしてスムーズに物事がうまく行くのかもしれません。
振り返って見ると、あっけない瞬間に。
この間こんなことがありました。どーにもこうにもそのことに関して、一ミリも動きがない。なんで?こんなにこんなに、地味な努力を重ねているというのになんで?なんで4ヶ月も状況が変わらないの?いっときは動きが出そうだったというのに、なんか「停滞」してるなー焦れったいなーみたいな感じだったのです。
そのほかのことについては勝手にうまく行っているのに一体全体なんなのよおお?!半ば諦めと、怒りがそこには確かにあったんですよ。
前にもこんなことあったな〜と思いつつ、人って、気づいたら意外と「力」入っちゃってたり、そのことに関して大きな「期待」を持って見たりして物事がスムーズに動きそうで、動かないが継続されるということが起こるんですよね。
これには面白いシンプルなカラクリがあって、意外とすんなり、風が吹くように状況が変わることがあるんですよね。
コインがひっくり返るというような。
そう、面白いんですけど、4ヶ月動きがなかったのにですよ。そのことにふと気がついたらですね、今までの考え、状況がまるで嘘だったかのように、現実がくるっと変わったんですよ。そう、何かが動く時って、意外とあっけなかったりする。
それなのに人は考え、考え、あーでもない、こーでもない、なんでなの?何がいけないのよ?って模索して見たりするんですよね。
実はこの模索、シンプルに、いらないモノ、考え方だったりすることが多いな〜って。
その時にはちゃんと気付けるんですよ。あーなんか「考えなくてもいいこと」をがむしゃらに考えてたなーって。
必要なのはシンプルな思いとその方向の明確さだけ。だったのかもしれません。
押してダメなら、引いてみよう
よくいう言葉、押してダメなら引いてみよう。まるでドアノブの話みたいですけどね。たまに引くドアなのに、頑張って押しちゃったりってないですか?!笑私結構よくあるんですけども。そういう時ってあまりそのドア自体を見ていなくって、なーんとなく押すだろう?みたいなノリで行ってるんだと思うんです(私は)そう、押さなきゃ開かないドアは押した方がうまく行くけども、引かないと開かないドアは引かなきゃうまくいかないこともあるんですよね。中には、スライド式のドアだってあるかもしれない。
物事もこれと一緒なのかもしれません。
何かしらの方向、方法が少しだけずれてるだけなのかもしれないのです。
特に、仕事や、人間関係において。タイミングが合わなくっても「出会っている時点」やっぱり何かの深い縁というものはあるんだと思うんですよ。
これだけ広い宇宙の中で、会話をしたりする人間って本当に限られているはずなんですよね。このブログにたどり着く方だって絶対偶然なんかじゃ、、、ないと思っています。
そう、出会っている時点、なんかしらの意味があるよねって話になってくる。
なぜそのようなことが起こるのかというと...
思い通りにならないことで学べることがあるから
なんでもスムーズにいかない方が、人って考えたり、勉強したりするんですよね。そこで、あえてつまずいて見た方が、その現実の大切さに気づくことができるのです。
そして、その停滞があると人はその停滞を考えるから
停滞している「現実」が必要になるんですよね。
その現実をそう考えているからやっぱりその停滞はずっと停滞していたりする。
めちゃくちゃシンプルな答えなんです。
そこから抜けるには方向転換
答えもものすごくシンプルです。そう悩ませている暗示をかけていることを解放することです。例えば、ゼーッたいに会いたい友達がいたとします。
けどなかなか仕事が忙しく会えないとお互いが思っていたとします。
そしたら、別にその子に会えなくてもいいや、1人で散歩とか他にもやりたいことやろーって
その「会いたいのに会えない」に向けていたエネルギーを、他のエネルギーに使ってみるんです。
そうするとあっけなく、早くてその瞬間に、その友達から連絡が来たり、街でばったり会えてしまえたりするものなのです。
基本的に自分が気になることは相手も気になっていたりするので。
実は両思いであることが多いのかもしれません。私もそれにふと気づいた翌日には現実が変わったので、びっくりしました。今まではなんだったのよって思いますよねー。
まとめ
物事が停滞するにも「意味」がある。
その停滞はもちろん必要があってそうなっているということなのです。
その必要がないよ!!と
自分んで自分の恐れを認め、向き合った時に、あっけなく物事は動くのです。
そう動かないことで「得られている」メリットを探して見ましょう。
意外とデメリットよりも強いのかもしれません。