この間、リサイクルショップにものを売りに行ったんですけど、作戦を変えたんです。
色々売る、処分、譲るなどをしてきたけど、私はリサイクルショップ派なんですね。
前は「明日」と決めて袋に詰めて持って行ってたんだけど、最近はもっぱら持っていくその直前にものを集めるようにしています。
それは、思い立ったら、迷わず、即、秒で動く流れを作るために。
なんでもそうなのですが、インスピレーション鈍ると、後回しにしがち。
そのときはパワーみなぎる熱意があったとしても
何かで気が”あっさり”とどこかに散ることありませんか?
部屋の片付けでも、物を捨てる時でも
何かの物事を決める、動かす
共通していることはそこに「大きなパワー」が眠っているからなのです。
大きく何かを動かすにはパワーが必要
大きく物事を動かすには、ドラゴンボールの光の玉のようなエネルギーが必要なんですよね。
だって、そこを動かすと大きく何かが変化するからですね。
でも自分の脳内にたくさんの悩ましい出来事や、それどころじゃないんだみたいな「物事を動かそうとすると出で来る言い訳のようなエゴ」とか、そう言ったものがなぜか進むのを邪魔してきたりする。
新しい仕事をしようとしたら「君には無理なんじゃない?」と声をかけられて、あっさりと「そっか、そうかも」って路線変更しちゃった経験はないだろうか?
私は、、、ある笑
それこそが宇宙から「試されてる」試練のようなものなのかもしれない。
大きく何かの流れを変えようとすると、人間は人間に止められたり、足から根っこが生える化のように、まるで足の先から根っこが生えてしまったかのように動けなくなることがある。
それは、その出来事が自分を大きく好転するための大きなパワーの必要な出来事なのかもしれないから。負けたくないものだ。(もちろん、自分がその行動をする必要がないから、流れが停滞する場合もあるので一概には言えないのである。)
足りすぎて"動けない現代人"
無意識のうちに私たちは多くの現実に起こる出来事に、左右されがちなんですよね。
それはいたるところで、そう、健康でありたいと思ったり、綺麗、かっこいい、かわいいでいようと美容とかに気を使ったり、習い事や、人生の転機と言われるような恋愛とか、人間関係などなど、、
様々な「現実」と言われている問題のようなことが目の前に広がっているんだと思うのです。
それは現代の「人間」だからなのかもしれない。
きっと、原始時代の原始人と現代の人間は「悩む」「問題」とするものが全然違うはず。
多分、我々現代人は、多くを得ることが標準装備なはずで、だからこそ「不健康」になっていることがあるんです。生活習慣病の多くは、ファスティングで治る。なぜか?内臓がリカバリーできれば、直せるんだよ自分で。
明日自分が食べられてしまうかもしれない状況にないし、雨が降っても大丈夫な家に住んでる時点で。私たちは多くをすでに持ちすぎてるのかもしれない。
葉っぱを巻いて生活もしれいませんよね?笑
でも悪く言えば、添加物もりもりの食事に囲まれている。
立ち止まるそのときに、ワンプッシュ!
もし何か大きく物事をうごかす、そんな出来事に出会ったら、立ち止まりそうになったときに、自分で自分にワンプッシュしてみるといいのかもしれない。
なぜなら動こう、変えよう、スペースを広げよう。そう一瞬でも思ったなら、自分の奥深い意識は「動きたい」「自分の流れを変えたい」「変化したい」「変容したい」そんな本音が隠されているからだ。
立ち止まって休憩しそうになったら、その「今」それに関連することで少しでも進んでいけるきっかけを脳裏に作って、そうなったその先をイメージしてどれだけそれが自分にとって「軽い」いい選択になるのかを考えてみる。
そして面白いことに人が本当に動きたい、動かしたいと思うとき。応援が入ることがある。
その応援は思いもよらぬところから、まるで待っていたかのように、さりげなくやってくる。
そしてその応援は、相手にとってもさほど面倒でなくて、全然いいよ、得意だよ〜ということでいいタッグが組めるのだ。
これは実に面白い、宇宙の采配なのかもしれない。
まとめ
冒頭にも書いたように、少しの作戦の変化なのですが、これが結構効果覿面で、これをやりだしてから、その日にいいお知らせがきたり、仕事の依頼が来ちゃったり、面白い変化をしているのです。
捨てるのがエネルギー的にもいいだろうと思うんだけど、リサイクルショップで売れるなら、それもそれでいいかな〜と私は思います。
最近は断捨離ではなく、どちらかというと全捨離の考えかた面白いなと思っていて。
前は、8割捨てるなんて?と思っていたんだけど、よく考えたら「使ってないものって結構ない?」それ、必要かね?という考え。
その話についてはまた改めて書きますね。
それでは〜。