まだ、まだ「もったいないば〜ちゃん」のこまこました片付けは残っているのです。
例えば
- 大量の写真
- 思い出の品
- 書類
- 貰い物
- 大量のお皿
- 調理道具
- 何個も同じモノ
- 洋服
書き出したらまだまだなのです。
だけど、他人が手を出してもいいエリアは一旦ざっくりは終了したかなというところまでやってくることができました。
それは本人が絶対できないような
「遺品整理」つまりさらに他人でもう居ない人の物
今日は全体を振り返りまとめようと思います。
客観的に観ることの重要性
すごく、近くで見ていると「気付けない事」があります。それは、その場に馴染みすぎて居て、それが当たり前のようになってしまうから。汚部屋に身を置くというのは、個人個人の「自分をどう扱っているのか」とリンクします。自分を汚くて、居心地の悪い環境にこそ身を置きたいという人がいるんです...。
残念ながら、この地球という場所は波動が低い。なのでもちろん、様々な人間が存在して居ます。だから、綺麗好きな人も入れば、虫が出ても全然大丈夫!友達さ!みたいな人もいるし、なんなら、気付いたら虫と波長があって居た。。。!なんて人もいるものなのです。
そんなこんなで、人は知らずのうちに「彷徨って居場所を見失います」それをいわゆる、片付けられない人、精神的に病んでいる人、うつ病、認知症などと「命名」されたり、人からどうのこうの言われるようになり、それが実際に「そうなる」「そうなってしまう」のです。
でもそれを他人が、どのように客観視するのかでその人の未来は変えていくことも可能なのです。
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三次元的な決めつけや分別から自由へ
三次元、我らの今一応存在している地球というのは、三次元的な社会なんですよね。なので、ここが片付けられないんです、ダメ人間なのでしょうか?
と誰かに問えば、その訪ねた人によってある種「決めつけ」や「判断」や「診断」をされて
- 病気と認定される
- ダメ人間と勝手に思い込む
- そのことに触れずに進む
このうちのどれかになっていくと思います。
けど、どうでしょうか?
そう思っているのは誰で、
そう決めつけているのは誰なのでしょう?
なぜ自分以外の人が、「ダメ人間」とか「病気」とか決めるのかって感じですが、決めているのはそもそも自分(無意識の領域で)で、そして、それを誰かの口を通して言わせているのです。
三次元で見れば、分離の世界かもしれない。
片付けられる人=Good
片付けられない人=Bad
のように、白黒をつけたがる世界。
それってすごく窮屈な世界だと思うことがあるのではないでしょうか。
全てを完璧にやろうとしなくていい
どこかで自分を責めたり、自分をダメ人間だとか思う。それは人間誰しもあることだと思うのです。それを、誰かが、誰かに思う限り、未来はそのカルマの繰り返しとなるのです。でもそれができるなら!誰かが、誰かを「この人はこういうことは苦手みたいだけど、こういうことは得意だよね」っと、誰かを認定し、可能性を広げていくことはできるはずです。
それは意外と、そんなに大変なことではないことが多く、そして身近なことに潜んでいることも多いのではないかなと思うのです。
自分が完璧でなくても「ま、いっか!えへへ」って思うことができ、肩の力が抜けた時、周りの人への「期待」も小さくなっていきます。
「期待」しすぎると人は、そこに「執着」し続け、思い通りにいかないことを、不快に思い、余計に「現実」を変えようと躍起になるものなのです。
でも、期待するからそう思う通りにならないわけで笑
実は真逆の方向へ、荒波を乗り越えるかのように「頑張ってしまう」
その力をまず抜きましょう。完璧になんてならなくていい。
抵抗は、願望実現とは程遠くなります。
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まとめ
だいぶ話が逸れちまいましたが、私がこの数日でやったことは、こんな感じでした。まずは前回の反省からしらばくの間、他人の物には手を出さなかったこと
そして考え方がまた少し変わったことからのスタート。
まずは大きいものから大きく動かし、解体。
この作業には、真剣にそして素早くがキーポイント。
なぜぐちゃぐちゃになるのか、収納というものは片付けられない人の部屋になるべくないほうがいい。
うじゃうじゃ出てきな邪気退治。まさにゴーストバスター
そして、今回で起こった、好転反応、怪我、厄払いまで様々なことはまた追って書きます。まだまだネタがある〜ということで今回はここまで。