自分にとって「ちょうど良い所持と捨て」について考える。

2021/02/14

捨てる




昨日は揺れましたね。思わず、大好きなPCよりも先に、ipadとiphoneを手に握りしめ自分の部屋を出ました。こういうとっさの時というのは何が大事なのか気付きますね。本当に無意識に手に取るもの。そして脳裏に思い浮かぶ人。ほんととっさに。


それでもこちらはそんなに揺れてないはず。いろんなことが起こります。だけど、悪いことも良いことも実は長くは続きません。

そして、いろんなことが起こったとしても自分が「どこを見たいのか」そこが一番大事ですね。

でね、今日はね昨日一瞬で考えたんですよ。もし自分の家が潰れたとして(そんなことはおそらくないんですよ)だけどその時、ものが多すぎたら大変だなと思ったのと、もう一つ、ある程度の備えも大事だよねのこの相反する思いつき。

今日はそのことに付いてあくまで私の考えとしてお伝えして行こうかなと思います。


自分のちょうど良いってなんだろう






色々な時を私たしは経てきましたよね。引越しをする人もいるでしょうし、転勤などで環境が変わったり、仕事を変えたら仕事に関する道具などが増えたり、減ったり、はたまた去年からテレワークになった方や私のように失業し多人もいると思うんですよ。


当然、ルーティンも変わったり、家族が増えたり減ったり色々あるんだと思うんですが。

ふと自分にとってのちょうど良いってなんだろうって考える時って巡ってくるのではないだろうか?と思ったりしたんですよね。

その時の判断はその時の判断ですよね。少なからず、ものが増えるきっかけや、雰囲気が大きく変わるきっかけ、周りの誰かや仕事の影響をもろに受けて流れが変わるときは誰しもありますよね。

それは、もちろん周りの誰かと全く同じではない「自分だけの自分の適量」が存在するのではないかなと思うのです。

例えば私は去年の前半は「全て捨てる勢い」で全力で走っておりました。が、しかしですよ、4月からは真逆に反転していたりしますよ。

もちろんそうなることなど「私自身」が一番予測もしていなかったことなのです。

例えば前半にこういう記事(買いだめはしない。使い切る癖をつける。全て、味わい切る。)を書いていたかと思えば

後半にはこんな記事(【コロナ・災】こんな時に断捨離してる必要なし!ちゃんと適量の備蓄を。)を書いてるんですよ。怖いでしょー人って変われるし、変わるし、変わっちゃうんです。


ほどほどのラインにゆるく。





例えばこう進まないといけないだとか、こうすべき!であると自分に言い聞かせることって生活をしていくと多く登場してきませんか?


まっすぐに引いた線からずれることをするとなんか、自分ってダメなのかもって思うこと。


極端なお片付けの方法って今色々あると思うんですよ。中でも長がいるような方法って、それに付いていかなきゃって頑張っちゃったりすると思うんですけどそもそもその頑張り、合わせようとすることや、排除、それらが今必要なのか一度解いて見たいところなんだなと私は思うんですね。



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こちらの記事にも書きましたが、人って、制限したり、排除していると心が乏しくなるんですよね。そういう延長線上にハッピーとか自分らしさってあるかな?っていうところで。


なんでも完璧にやろうとしないくらいの方が力が抜けて良い現実に繋がったりするものなのです。

まとめ



極端になっているときっていうのは周りが見えていないんですよね。だけど、それが間違いないと思っている時ってそのまま突き進んでいくしかない。


いくところまで行ったら、一旦休憩して、また自分で自分なりの正解?とやらを探していけば良いのかな〜と思っています。


誰とも比べずに自分らしく、自分にとってより良い所持。それらを決めておくと良いですね。減りすぎたり、増えすぎたりもしながら、完璧になろうとせず、ゆるゆる進んでいけば良いんじゃないかなーと思ったりしてます。


それではまたっ。

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