【断捨離やめました】私の根本が求めるものそれはオリジナリティだったの巻。

2020/05/18

断捨離 断捨離辞めました

断捨離をやめました。

この記事のシリーズは私の実体験をありありとそのまま綴っています。
汚部屋→断捨離→ミニマム/全捨離→脱スピリチュアル→断捨離をやめるに至ったお話です。

そして私がそのあとどういう道へ進んでいるのか。


あくまで私の主観で私の心理状態から感じたことそして、私の通った道と考え方による私の実話のお話です。


今日のお話。


今日はついに断捨離を辞めた時にどういうことがきっかけで、どういう考えでやめていったのかについてのお話です。誤解のないように最初にお話をしておきますが、断捨離やミニマリズムや全捨離を「否定」している訳ではなく、私が、私なりに思い経験し気付いた結果のお話です。かくいう私も断捨離が大好きだったうちの一人ですので。


私の断捨離を辞める流れの到来




そのサイン。


ありがたいことに、私は突然のサインが訪れました。それは、大好きだった「スピリチュアル」を辞めるという人生の大転機が訪れるのです。言い換えればそれは、「スピリチュアル」に少々の依存的であった自分が変化することにより「スピリチュアル」に依存しなくても、頼らなくっても「大丈夫な私」がここにいると気づいたことから始まります。なんでもかんでも、他力本願でいつしか自分のことが見えていなかったのでしょう。何かに依存し、執着し、他力本願になっている時、人は、一番大切な何かを見失いがちです。


私が自分の人生の大半といっても過言ではないくらいに頼り切ってきた「スピリチュアル」と言われる世界の分野関連がわた氏の人生の中からごっそりもっさりといなくなることにより、私は大きな衝撃を受けました。それは今まで良いと思っていたことの全てを疑う。そんな流れの始まりでした。


そして断捨離にハマり、お部屋とまるで話すように、日々断捨離に打ち込むことで自分をごまかしていたことにきずきます。それは「スピリチュアル」と言われるその一式がごっそりなくなってからじゃないと見えなかった、私の大事な心理。


180度違う角度から


まさかの様に、今でも信じられないですし、信じてもらえないかもしれないのですが、自分が逆さまだったとしたら、今自分は逆位置、つまり正位置にひっくり返った様な感じなのです。これは例えば、タロットカード見たいですけど「依存」というカードがひっくり返り「自立」になった様なそんな感覚というとわかりやすいのかもしれません。何かが溶けたとも言えるのかもしれませんね。我に帰るとはこういうことなのかもしれません。


そんなわたくしです、今までとは見ている世界が変わった為、ふと思うのです。「断捨離ってなんなんだろう。なんの為にすることなのだろう。人間関係をこんなに手放す必要って?これって勝手すぎない?自分が捨てられたらどうなの?結局自分を見てないじゃん」辿っていくと、結局何が大切だったのかよく見えてくる様になったのです。


物を持っていても人は幸せになれる




適量

ものを減らすこと。自分の大切なものをシンプルに大切にするのが断捨離やミニマムな考え方かと思います。だけどいつしか人は不思議なもので「捨てる」時に得られる「ドーパミン」の中毒になりがちなのです。確かに、物を処分すると気持ちはスッキリしますし、さっぱり感、幸福感は上がるのでしょう。私もそのスッキリが大好きで「次は何を捨てよっかな」って何かを捨てた瞬間に考えるのが大好きでした。



そんな生活を続けていけばもちろん部屋はスッキリしていくでしょう。どんどんものが減ることで自分の好きなものが際立ってそこにある様にも見えてそれはそれはなんか良い。自分すごいじゃん!とも感じるかもしれませんね。私もそうでした。



物には波動があっていいものばかりじゃないから「使ってないもの」はとにかく捨てる。運気が良くなさそうな人からの貰い物は処分。万物にはエネルギーが宿っている。ものをなくすことでスペースができてそこに幸運が舞い込む。物への執着はない方がいい、手放す。汚部屋はだめだ。片付けられない自分はダメ人間。けど今は違う!!そう思っていました笑





片付けられないがダメ人間?


今なら私の通ってきた道ですから断言ができます。片付けられない自分がダメ人間なんて誰が決めましたか?問題はそこではありません。汚部屋どこに何があるかわからない。。。はしかに病的なのかもしれません。私も過去に経験済みで、当時は確かに病的だったのかもしれません。ただね断捨離やミニマムも行き過ぎれば片付けられない人と「紙一重」なのです。汚部屋からも、捨てすぎた部屋からも本来きずかなけさばならないのは「自分の内側」なのです。



自分の適量がわからずに、「増えすぎる」「減らしすぎる」この範囲にいる人間はね自分のことダメ人間だとも気づかないのですから...。わかりますか、この状況。。。これを「依存症」と言います。今「断捨離依存症」が増えているのです。



じぶんがその範囲を超えた時、自分が超えていることに、気付けません。だから私は微々たる影響でもこうして自分の人生で起こったことを記事に書き下ろしています。私は汚部屋も、断捨離でちょうどいい暮らしも、ミニマム化し危険な状態も全て経験しましたが。どの心理も結局は「表裏一体」だったということに気がついたのですね。

オリジナル

それで、私は思うんですね。「断捨離」は人が考えた方法。でありヨガの思想、自己啓発なので、私にとっては「宗教」。スピリチュアルを辞めた理由の一つに「あなたはこれをすれば幸せになれますよ」的な、そういうビジネスに全く興味がなくなったんですね。で結局それをよくよく考えていくと。



断捨離のブログを書こうにも「〇〇捨てたら、運気が上がった!」とか「捨てたらスッキリ!」「執着は手放しましょう」とね、一見良さそうな言葉がズラ〜り並んでいますよね。そしてどこかスピリチュアル的な思考なんですよ。となると私のこれからのライフスタイルにそれらはいらない。となったので、私は断捨離を辞める。捨てる。という結論に至ったわけです。


そこで、考えましたよ。別にみんなが断捨離しますー!とかいっていても、私は単に掃除・整理整頓・片付け・ものを買う、ものを捨てる。これでいいじゃないの?わざわざ「断捨離」という誰が考えたワードを使う必要ってある?って思ったんですね。



アイディンティティ

以前の私の根本は「依存」で成り立っていました。もちろん人は何にも依存しないということはないと思います。色々なものを所有します。仕事、恋愛などにおいての人間関係。過去の私は、それらの煩わしさから「逃避」したかったんですね。だけど、人間関係の断捨離ってとっても無意味です、空間ができたとしてもまた同じ様な嫌な人は必ず現れます。その度にその人間を捨てても永遠に本当の自分自身に出会うことはできないと思います。結局自分のことしか考えない断捨離は危険です。自分を大事にしてない状態なのです。自分らしさ。思っても見なかった誰かから教わることもあります。人間関係を断捨離しすぎる人はHSPの傾向が強い人が多いと思います。私がそうなのですごくわかります。繊細が故に、ものを捨てたり、人を捨てたりするんです。だけど、それは自分を捨ててる行為であることに気づいたら、ちょっと自分をゆるくできると思いますよ。



まとめ



断捨離を辞めてから私の心は嘘の様に落ち着きました。繊細すぎるが故の「自分責め」も「他力本願」も「依存」も落ち着きました。



自分で何かを発信する。自分の気持ちをこうやってブログに書くことがHSPやエンパスには向いていると言われていますが、それによって、私の中では心に与える影響がとても大きかったのだと思います。自己治療できたわけですね笑。結果的に。


道のりは長かったですが。心の穴はやっとふさがり(これも思い込みだったんですよ本当はね)自分の中での心が解き放たれ、自分の足で、歩んでいます。自分らしく。自分の足で歩いていくと心の迷いも依存心も必要がなくなります。



汚部屋を経験し、自分への劣等感を持つ、綺麗な部屋にできない自分をダメ人間と思い攻める。失恋を経験し、自分の中をスッキリさせようと、汚部屋の反動でどんどん断捨離で手放す。

手放した時2、3日は気分がスッキリするがそのスッキリ感には中毒性があり、またものを捨てる、自分のものだけではなく人のエリアにまで手を伸ばし、しまいには人間も捨てていく。


はい、ここまでしないと気付けなかった私です。幸せになりたいと願うなら、断捨離をする前にぜひ立ち止まってくださいね。物があっても人間は幸せになれるし、運気が上がるんです。それは自分の心が決めるから。周りと比べる必要なんて一切ないのですから。


次回は私が見つけたらしさ時代のお話へ続きます。今日もご覧いただきありがとうございました。


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