【私の汚部屋時代】部屋が汚いだけじゃないそこに圧抑された片付けられない感情とその訳

2020/05/13

感情・心

私の汚部屋時代

ちょっとあまりにも過去記事を読んでショックが隠せない私でして、頭の整理の為にも、私の汚部屋⇒断捨離⇒ミニマリスト⇒断捨離をやめた経緯を順に分けて書いていこうと思いました。

なぜかと言いますと


よく読まれています。


こちらの記事でも書いたように、片付けられなかったあの時も、断捨離でギラギラしていたあの時も、ミニマムになりかけていた欲望が完全になくなってしまったあの時も、私であり、そして表裏一体という心理がわかったからです。
この一連にはちゃんと共通点があるのです。わかりやすく書いていこうと思います。
あくまで私の心理状態から感じたこと。私の通った道と考え方によるものです。

汚ない部屋と書いて「汚部屋」


私の汚部屋の始まりは、実はすごくすごく幼少期まで辿ります。笑。ガラクタに囲まれて、それはそれはすごい部屋でした。写真撮っとけ場よかったなーと今なら思いますね。笑


ゴミ屋敷まではいきませんがなかなかでしたよ。でもね、汚部屋経験者ならわかるはず、汚ないからこそ、、、「片付けなきゃ!」という考え、意思はいつもそばにありましたねえ。それで、何度意気込んで、失敗したのか全然覚えてません。つまり、すぐ気が散っていたのですね。


なぜ気が散ったのか?おそらくものが多すぎて「判断能力」が阻害されていたのだと思います。お部屋にはもしかしたら自分以外にも妨げようとする存在がいたのかもしれませんし、単なる自分の意思が弱かったのかもしれませんね。

お部屋が汚いこその"憧れ"


ただね、今なら思うのですが、汚部屋を経験する人はのちに記事に書きます「断捨離」や「ミニマリスト」「全捨離」にとってもとっても憧れを抱くのです。


不思議ではありますが、汚ければ汚ないほどに、そこから抜け出したい!という思いはすごく強く持ちます。面白いですよね。


私も当時は「お部屋が綺麗になったらどんなに生活がしやすくなるのだろう...」「でも自分ではなかなか片付けができないしなああああ」というジレンマにいつも陥っておりました。


そのまま時は非常に早く流れますね。高校生の時、ついに、自分の中の感情に蓋をし続けていたもので「寂しさ」が大爆発し、ものを集め出します。

汚部屋 + 大量のコレクション



さあ想像して見てください。ただでさえ何も捨てることができないで、テスト用紙とか、折り紙とか、服とかで溢れかえっている部屋に、大量のコレクションが導入です。ひえ〜って普通なら思いますよね笑


それが当時の私にとってはその空間の居心地ったら最高でした。えへ。

多くはない友人やクラスメイトもボーイフレンドもその頃というのは「み〜んな大好き」でした。人間関係の断捨離なんで絶対せずに、ひたすら友達を作っていましたし、彼氏がいない時期はなかったですね。

とにかく一人になれなかった。何かに「依存」し「執着」し。ものを増やすことにひたすら力を注いでいました。


その頃ハマったのがくまのプーさん。気づいたら、もうプーさんのことばっかり考えていました。一種の病気ですよね。コレクターというのも。自分がそうだったのでよく分かります^^;100匹以上はいたであろう、クマのプーさん、その前はキティちゃんだった。尋常じゃない数がいただけで本当に好きだったわけではなかったんですよ。今私の部屋には一匹もクマのプーさんどころかめいぐるみもいません。

買って、増やしても埋まらない心。

心にぽっかり空いた穴

そうなのです。この時の私といえば、家庭環境が荒れており、過保護な親(どく親というのがな?今でいう?)から、孤立し、複雑な環境に身を置くことになり、ボロボロのメンタルだったのです。



それに気づくことすらもできないということって、あるんですよ。それは、感情を見たくなくて抑圧してしまうんですね。

その抑圧はどこに向くのか。


物を買うor物を捨てる。
(これ、同義なんですよ実は。)

食べ物をすごく食べるor食べ物をすごく食べない。
つまり太る。痩せる。
(これも)

自分をすごく褒めるor自分をすごく責める
(これも)

この様に結構両面のことを繰り返す心理というのが実は存在します。私どれも全部経験しています。なぜだろうと思いますよね。

両極を繰り返すのってとっても苦しいし辛いんですよ。しかもその時って、それが絶対に正しいと思っているからね。だから自分ではなかなかその状態に陥っていることに気づけません。私が捨てすぎて危険!と思った時に、これを言われても絶対に気づけませんでした。自分が正しいと思っているからね。


その時の心理状態

まーいつも「モヤモヤ」「うじうじ」「メソメソ」自分で感情を見ていないから自分の中の自分がいつも泣いていました。

泣けるうちはまだいいんですよ。抑圧しているとね、泣くこともしんどいんです。

これも面白いんですけどその「悲しみ」をたどっていくと、「怒り」にたどり着くんですよね。

なぜなら悲しみの裏は怒りだからなのです。これは中医学でもよく出てきます。

あと例えば肺の働きを強めるには「胃」を強くして補っていかないとならないのですね。

その様に「悲しい」から悲しみにアプローチするのではなく実は悲しみに、怒りが関連していたりだとか、幼少期の複雑な感情が絡んでいることが本当によくあります。

なので、断捨離やミニマリストが、それらにハマって、自分を取り戻した!という様な感覚になるのは、その反動を使って、「バランス」を今取れているからなのですね。



そこでうまくバランスが取れる人はそれできっと維持していけば全然問題ないのですが、中には私の様に、汚部屋での自分がいけない、ダメなんだ。という反動で断捨離にがっつりとはまることによって、その後目がさめる人もいるのです。

それはなぜか?


捨てる(断捨離する)/捨てない(汚部屋)
これはどっちも自分ではなかったからです。

捨てない(汚部屋)があったからこそこの自分に嫌気がさし捨てる(断捨離する)ことで、さらに自分と向き合っていないからなのです。

本当にやらなければならなかったのは、自分をただ受け入れてあげるだけでよかったのです。

でもね私はその経験が必要だった様で、ものも感情も人もぜーんぶ「捨てた」気になってしばらく過ごしていました。もちろん、もうね、取り戻せないものもたくさん捨てちゃったんです。笑。結論*捨てられないも病気だが、捨てすぎるのも病気なんですよ。

私に必要だった汚部屋時代


さて、いかがでしたか?私の汚部屋時代はね、実に内面の「悲しみ」「怒り」「不安」が溢れ出す。ネガティブてんこ盛りのお部屋でした。

今だからこうしてその頃をニンマリと思い出すことができるのですが、多分、当時は結構辛い時期だった様に思います。一番「自分らしさ」アイディンティティを形成する幼少期に、こういった「傷」をがっつり作る人もいるでしょう。のちにその傷は自分のとっても身近なところでじわじわと大きなモンスターになり、どっかのきっかけでそのモンスターを解放することを求められるのかもしれません。


そのモンスターを大事にしておきすごたがゆえに私は「行き場のない感情」「モヤモヤしていて謎の心」を断捨離に出会って、「捨てる」「手放す」といった、なんか良さそうな言葉で「私は変わった!」と思い込むことにしようと思っていました。


だけど実際のところ蓋を開けてみれば「モヤモヤ」「メソメソ」「イライラ」のその大元は全く消えていないということに気がついてしまったのです。
それはなぜかはまた次の記事で書いていきます。


私にとっては全てが必要な過程で、こういう道をぐるぐる歩まないとわからなかったことだったと今なら胸を張っていうことができます。




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