【私の断捨離時代・闇】みるみるうちにスッキリ!だからこその開拓力とその行く末。

2020/05/15

断捨離


私の断捨離時代・闇



このストーリーは私の実体験を振り返るシリーズです。私の汚部屋⇒断捨離⇒ミニマム/全捨離⇒そして断捨離を辞めるまで。をそれぞれ書き下ろしたものです。順に書いていきますので、もし興味のある方は読んでいただけたら幸いです。



あくまで私の主観で私の心理状態から感じたことそして、私の通った道と考え方による私の実話のお話です。

今日のお話。

前回はキラキラな断捨離の好転反応や絶大な効果、良いことがあれば全て「断捨離のおかげ」と全てそこに繋げていた時代のお話でした。ブログに書くために「良いこと」「すごいこと」「驚くこと」に率先して目を向けていたのはとっても素晴らしいことだったのだと思います。


一種の自己暗示をがっつりと自分にかけていた私。本屋さんでたくさんの本を読み、良いとおもったことはなんでも実践していきました。一つ一つ自分の居場所から物が少なくなっていき、自分が汚部屋の住民だったなんて「幻」だったかのように自分の記憶からなくなっていきそうなくらい。急速に物がなくなっていきました。



その頃の「光輝く」良いことがたくさん起きる、自分の気持ちが違う。その感じ、みんなに伝えたくてブログに書くことでさらに私は自分に自己暗示をかけることとなります。


だけどどうでしょう一歩その先に行ったら、そこは闇の世界だったのかもしれません。

今日はそんな私のダークサイドのお話です。

断捨離に人を巻き込んではならない


闇の入り口。

なんでもそうなのでしょうが、自分が「これ良い!」「人生変わった!」「私これで救われた」「自分を変えることができた!」と思えば、仲良い人や、同じように困っている人に伝えたくなるのは当たり前のことなのではないかと思います。



そこで、断捨離で当時人生が変わった!と思った私(ソラー部屋がきったなかったんでね)は、家族にそれを伝えることになりますね。


片付けが大の苦手で、パンの入っていた袋ですら捨てることができない祖母。あまりにも汚いので、私が人生が変わった断捨離を伝えたくなるのは当然といえば当然なのですが、過去記事に詳しく書いてある通り



【浄化】もったいない!ばーちゃんのお部屋、汚部屋脱出大作戦:段階を踏む:押してもダメ、少しづつ。断捨離の好転反応がすごすぎた話。



こんなすっちゃかめっちゃかなことが起こっていたわけですね。だけど最後のところに書いてあると思うのですが

引用しますと、

変えるという覚悟は必要です。そして変わった時にわかるんですね。こっちのがよかったって。今では、片付けて片付けて〜っていう祖母に変わりましたので。できないことは人に頼むのも時にはありです。執着しすぎて、我慢を続ける生き方はもう終わり次の時代に軽やかに行けるように最初は、大変ですが事態は必ず、好転するようになって居ます。

物を捨てても過去は捨てられない



もうね、過去の私、勝手すぎるんですよ。。。泣。辛くて過去記事も読めない。こんな勝手なことあります?人が「片付けられない」からって頼まれたわけでもないのに片付けちゃダメなんですよ...。(大体の人は断捨離を人に頼まないでしょう、半ば、強制的撤去されますよね。)


片付けの業者さんとかいますけど、その後リバウンド しないわけがないですよね?


もうその時点で、無意味なんですよ...。だって、人は変えられないから。変えようとすることが「エゴ」です。自分のね。それでね、私が片付けてその後どうなるかわかりますか?片付けは頼めばやってもらえる。になるんですよ。


つまり、執着が強い人というのは「依存体質」ですよね?そうすると、そこに他人が手を入れると、片付けてもらえるって結局「他力本願」になるわけですよ。

自己否定。


で、悲しいことに、祖母は自分で頑張ってやろうとはするんです、過去の私と一緒ですよ。片付けられないからこそ、汚部屋だからこそ、「断捨離」や綺麗なお部屋には人一倍憧れる。だけど「私にはそんなにうまくできない」だから私はダメ人間。と。無意識にですよ。そう思ってしまうんです。


あー泣けてきた。私が手を出さなければよかったわけです。大後悔です。本当に申し訳ない。だからほんと人のものって、頼まれても、やらないほうがいいと思います。良かれと思ってもです。商売の人に頼むなんてもってのほか。。。私はそう思います。


TVでこの間見ましたけどコンサルさんが片付けに行った、片付けられない90歳のおばあちゃん、結局3ヶ月ご、、もっと汚くパワーアップしてたんですね、、、。そりゃそうなるわな。反動って怖いんですよ人間の。その人にとって、綺麗な部屋が住み心地いいかなんてわからないんです。そこが怖いところなのです。


それは世代が違うからだよっていう話ではないんですよ。



一見好転反応の様に見えたこと。



私は常に好転反応や開運、スッキリ感に敏感でした。そのため、自分の部屋がスッキリし自分の身の回りがスッキリしてくると、人のことも「やってみるか」「ここだって私の一部だもんね」とどんどん広がるんですね活動が。

そうしてる時には夢中なんですよもう、とにかくスッキリさせてあげたいと思いつつも、「結局は自分がスッキリしたいだけ」だったのですから。本当に最低!!笑


いつも辺りを見回してそんなことを探していたわけです。これのどこが豊かか。って思うわけですね。

"今日これ捨てました!"が書きたくて


ブログを読んでいてもね当時は「今日これ捨てました!」とかそういうの読むの大好きで、えーこれ捨てたんだ!私も捨てよー!ってやってました。


だから自分もそれに便乗して、ブログに書くわけですね「私が捨てたもの」と題して様々なブログに書き綴りました。それがそれがまた楽しくて、またそれを書きたくなる→また何かネタを探す。


つまりこの頃になると私は「断捨離」の枠はとうに超えていたんですよ。けどそれに人間っていうのは気づけないんです。そうなっている時って。


だって最近過去記事読んで「誰これ?」私?嘘でしょ?っていう衝撃なのですから...。はい、私自身が一番ショックを受けているのです。


さらに枠を飛び抜け進化


まあ懲りないわけですよ。だって自分が汚部屋だったわけですから、反動というのはもちろんそれ相応なわけですね。

ミニマリスト?


極端といえば、ミニマリストですよね。ただ私も一歩手前までは行ってしまうのでありますよ、だって「汚部屋」の反動といえば「何もない」でしょう?最小限の生活はドンピシャですよね。


クローゼットの中に空間をいかに作るかに集中し、どんどん私の狩の標的がいなくなっていくのです。マットもなくなり、クッションの数までも。


基礎化粧品も全て捨てる、シャンプーもやめちゃう、どこまでいくのだろうというところまでいくんですよね。

全捨離


その頃同時進行で、全捨離にハマるわけですよ。断捨離よりさらに強そうで、私にはもうドンピチャだったわけですよね笑

メルマガも購読してその通りに捨てて行ったわけです。



ベットは良くないと言われ、部屋の唯一の家具の「ベット」まで捨てそうになる信じ込みようでしたので。本当にすぐ夢中になるタイプなのですよね。


だって効果がすごいって書いてあるんだもーんそれはもう飛びついたわけです。
当時のブログでは「私の全て捨てたもの〜」というタイトルが流行りました(わたしの中で)本当にわかりやすいんですよね笑




何か変?と気付き始める

こんなにね、色々揺れやすい私です。この頃に大転機の前触れに出会うことになりました。お待ちかね、私の大転機。それは2020年の4月4日ですね。


まあここまで読んでいただいてもわかるように本当に、色々な経験になって、片付けを通しても、様々な人を大量に巻き込みまして、そしてついには「一人」寂しく?よく病気と言われるミニマリストへの道にも足を突っ込むわけですね。笑


さすがにここまでじゃなかったのか、すぐに「違和感」満載になってくれた私の心。まだ、救いがあったわけです。


ここで私は今までのことから、なぜ「今ここ」に自分が流れ着いたのかを知ることになります。それはとてもとても衝撃的なことだったのです。今までのこの経緯には「全て理由があったんだ」ということにたどり着いたのです。

欲がなくなってしまった。


「捨てる」心理の記事で触れましたが、私は汚部屋の反動で、憧れていた綺麗なお部屋になるわけですが、その反動ですから「物がなくなっていくうちに」部屋に物を置くことや、必要以上に所持して置くこと、大量に物が自宅に入ってくること。がとっても怖くなってしまったのです。


断捨離の好転反応の記事では私はこれをいいように書きました。「購買意欲がなくなる」と、そういうんじゃないんです、物へ対しての欲がなくなってしまったんですね。


排除しまくった私の行く末。頭がスッキリしすぎて、幸せとは思えない。なんか、私豊かじゃないかも。。と思ってしまったんです。こんなに物がなくて「何やってるんだろう私。」そう我に返ったんです。あっけなく。今まで手放すに題していた私の心はなんだったのだろう?とっても複雑な混乱になったのです。


ついには人間関係の断捨離


そして私は、ついに人間関係までバッサバッサ手放していきます。そう「人間関係の断捨離」とかなんか言っちゃってね。物を捨てる人は人も捨てるよ。

みうらじゅんが語る断捨離するべきじゃない理由。

もともと友達は結構多い方でした。だけど電話帳には30人位になり、ラインもリセットしまくりました。ちょっとでも嫌だな〜と思えば削除。アッサリ。記事にも書きました。


嫌なものを捨てると波動が上がる。そう信じ込んでね。


もう消してしまったのでその人たちとはもう連絡を取ることはできない。こんな身勝手な私。だけど、なぜかどこからか、連絡をくれた友達。泣きました。もうね、むやみに消すことはやめました。

電話帳が少ないからって運気なんて上がらないよ。見るべきだったのはここでもやはり「自分の心の穴」これにつきたのでした。もちろん捨てるべき人間関係もあるんですよ。それはまた別記事に。


まとめ


私は汚部屋から、憧れていた綺麗な部屋に「劣等感」を持っていました。自分にはそんなことはできない、なぜなら心に穴が空いているから。無意識の言葉は自分の中ではきっとわかっていたことだったのでしょう。


そして失恋をきっかけに私はそんな自分を変えたくて「断捨離」を始めるのです。最初の頃はとっても自分が短期間で大きく変わった。私にもできるじゃん!そんな気持ちで続けてきました。ブログに綴っていくうちに私の内面が整理整頓されていきました。これも今振り返ると完全に「承認欲求」だったのですよねえ。


お部屋とブログ両方から私の人生は大きく変わっていきます。こんなに私は変われた。そう強く思い込んでいました。だからこれを周りの家族にも体験してほしいそう思い祖母の部屋にも取り掛かります。しかしそれは断捨離の本でも書かれているように一番やってはいけないことでした。


さて、私のダークサイドは結構な損害をしています。だけれどそれは断捨離を通して、私が気づけたことでもあるのです。


そしてこの話まだ続きがあります。本格的にごっそり大変革するのは次回お届けする。「脱スピリチュアル」がきっかけになります。それでは今日もご覧いただきありがとうございました。



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