【私のらしく時代】Rashikune*私らしく極端ではなく私のベストを追求する旅の始まり。

2020/05/20

よく読まれている記事 片付け 私らしさ


私のらしく時代の到来

今回はこちらのシリーズで書き下ろしたついに最終章のお話である。私の「らしく時代」到来のお話です。


このシリーズは私の断捨離にハマるきっかけとなる、元の「汚部屋時代」〜「断捨離の光時代」〜「断捨離の闇時代」そして私の大転機である、スピリチュアル一式を辞めたことから、ついには断捨離ごと断捨離。これを順に書いたものです。


前回までのお話はこちらです。


あくまで私の主観で私の心理状態から感じたことそして、私の通った道と考え方による私の実話のお話です。



断捨離やミニマリストを否定しているものではなく、色々なことをやったのちに私が行き着いた先を私の目線から書いたものです。どうしてそういうことになったのかというお話は最初から読んでいただければと思います。

今日のお話。


前回のお話は私が、ついに断捨離時代を終了したことまでを書きました。色々な考え方が大きく代わり、180度ひっくり返った観点から私は長年実践してきた断捨離を辞める結論に達しました。


さて今日のお話は、このブログの新しいタイトルである「Rashikune-らしくね♪」このタイトルが誕生しそれからどうなったのか。のお話です。


私らしくと書いて、らしく時代



自分らしくあること。


自分らしさって一体なんなのだろう。誰もが一度は自分に語りかけるのではないだろうか?まあそれは決まった答えなんてものはなく、自分で自分の好きなように決めていくことでしかない。ほとんどが自分の思い込みでできることに過ぎないからだ。


自分らしく日々すごしているように見えて意外と自分らしさから外れていることも多いのではないだろうか。例えば、自分ではない誰かが考えた「方法」を真似ることであったり、多くの人がやっているからつられてやることも。人は人の影響をとても受けやすい、特に私のようにHSPのような繊細さんには多いのである。


誰かが考えたことも、次の瞬間に自分の思考のエリアにふわっと入ってきて、さも自分が考えたようになりやすいからだ。人と人のバウンダリーは案外行き来が自由になっているように思う。自分が考えていなくても自分の感情に誰かの感情が紛れ込んで、さっきまで楽しくても急に悲しくなったりすることもあるだろう。


これはうつや精神病、HSP、エンパスなど繊細な「病」によく現れるのでしょう。だからこそ、このような傾向のある人たちは、断捨離や過度なミニマリズムにハマりがちである。まるで、今の自分は駄目だから、過去の自分までも捨てるようにね。これには奥深い心理の共通点があるからなのである。すぐ人間関係やものとの関係をリセットしたがる人はものを必要以上に所持することをとても恐れている。


私も実はHSPやエンパスであるから思いっきり断捨離やミニマムにはまり込んだうちの1人である。前回の記事に書いたように私は、内向的な性格のため自分のインプットしたことを記事にしていくうちに驚くべき変化に見舞われたのである。お部屋の断捨離なんてそもそもしなくってもよかったとさえ、今は思う。

一番大切なものを見つける


これだ!


私はついに、大きな大きなトンネルから自力で脱出する日がきた、それはとっても広い暗闇の中を闇雲に手を伸ばし探していたものが見つかったようなそんな感覚なのかもしれない。今までだって隣にあったのかもしれない、近すぎて見えないことというのは一番見つけるのが難しいのである。


様々なことを経験したからこそ、突然大きく自分の中にきらっと光る原石が見つかるのだ。そんな経験をしたことがなかった私は悪戦苦戦するのであった。


それはあまりに近くにあったこのマフィンのシャドー(影)のような、はたまた自分からは見えることがない自分の外側の輝きとも言えるのではないかなと思う。


全ては私の自己肯定感。繊細がゆえの出来事だったようにも思うのだ。こんな自分の愛おしい部分に出会ってしまうと日々の心の穴はどんどん埋まっていくことになるのである。



「らしくね」

このブログのタイトル「Rashikune」この名前になる前というのは誰かの考えた方法を見よう見まねで、その人の観点を自分の生活の中に入れて生活をしていた。ものを捨てることに手放すことに、断捨離した!とかねそういう便利な言葉のように使用していたのだ。だけど、私は私らしく、自分のルールを決めて、私らしくないと意味がないと思ったのです。


私の適量は私のみがしる。誰かが捨てて良かったとしてもそれを参考にはしたくない。私は私らしく、過ごしたい。私は属すことなく、自分のオリジナルへの追求の時代に突入したのであります。それが私のらしく時代。


だれかの何かから一歩抜け出したい。その中から、汚部屋でもなく、綺麗すぎる部屋でもなく、自分らしく生活をしていこうと思っています。




そんな私の最近のお部屋。



ストレスなし。

前までは「これ買ったからこれ捨てよう」「これ捨てたからこれ買おう」「断捨離したもの覚えといてブログに書こう」「これ早く使い切ろう」「今日はここやらねば」など。なんかねー捨てないとって自分が自分にコントロールしてたんですよ。それが楽しいと思い込んでいたけど、、結構なストレスだった。。。だってそれって自分が自分を捨てる行為だからね。辛かった。誰かに公表するためにやる行為って結局承認欲求じゃないですか。そういうのって疲れるんだよな。


今はもうね床に物が落ちてようが「放置!!」雑巾掛けは好きだからたまにしますけどストイックに修行のようにはしていません。実際捨てて整理整頓してたことが自分の開運につながっていたとも思い返せば全然そうでもなかった笑。のりでそう思い込んでいただけだったようにも思うし、それも自分が自分にマインドコントロールしていたように思います。宗教家と一緒の心理です。私、これで人生変わりました!って言いたかっただけです。実際は違います。部屋が綺麗だろうが、汚かろうが。それより自分のこころの方が大事です。今はそれらから解放されたので、本当に今度こそう嘘偽りなく、幸せです。豊かです。






だいたいでいいよ。


前までは、片付けられない家族や友人の部屋が片付けられないっていうのを聞くと「それはもう片付けとかじゃないある程度までは量減らさないとだよ」くらいバッサリいっていました。だけど最近は自分が自分にゆるくなったし、今の自分に満足しているし、心が豊かになったので「ほどほどでいいんじゃない?」「別に捨てる必要ないよ」と、そういう事態、捨てられないことを否定する気持ちが一切なくなりました。


前だったら「私片付け手伝おうか?」くらいにいっていました笑。(手を出さなくって正解、、、。)自分のことをちゃんと自分で満たすことができるようになったために人に対しても、そのいまそれぞれを肯定するようになりました。ストイックになんでもやることが正しいとは限らないんですね。汚部屋の皆さんにもこれは伝えたいな。自分のこと否定しないでくださいね本当に、大丈夫ですよ。汚部屋と断捨離心理は「表裏一体」で間違いありませんから。



だからと言って、汚部屋には戻りませんよ(笑)私は私にちょうどいい量をちゃんと所持します。

私の人生がガラリと変わった【断捨離】を捨てて良かったこと7つ。

【スッキリ!】片付けられない人も断捨離もミニマリストも実は<表裏一体>そのワケ3つ*


色々やってみてわかった事




宝。

結局、汚部屋から始まって、自分が繊細だからゆえにいろんな方向へいくのですが、一つ一つの時代にそれぞれ、その時でしか気付けないことは沢山あったのです。だから、中途半端ではなくある意味でやりきったからこそ私はこの反動を使って今の「私らしく時代」ようやくここにたどり着いたのですね。これは大きな宝です。無駄な事は何もなかったと思います。


もう、私は何も頑張りません。ストイックに捨て活ももちろんしません。無駄が沢山あるからこそ人生って輝くのです。


私の汚部屋時代から長々綴りました。また色々追記したり、リライトしたりすると思われますが一旦ここで最終章は終わります。今日も呼んでくださりありがとうございました。



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