それはその持ち主が亡くなる寸前であったり、余裕を持って処分することもある。終活というのでしょうか、人生が終わるそんなときに整理すること。手を離していくこと。家を立退くから全部を捨てないとならない。そんなこともあるようですが残された家族はそこそこ大変ですよね。
今日、うちの近所で朝からトラック3台で運び出しがあったんです。見ているとあれは全部捨てるようでした。大きなトラックが続々と積んで運んでを繰り返している。
それを見た私は、あ、もうあのおばーちゃん帰ってこないんだな。と思いました。なんだか切ない映画のワンシーンのようで、切ない気持ちにもなったのです。
だけど周りにもそういう行動は勇気を与えることがあるんですよね。
その行動で考えました。
「本人がいるうちにある程度の片付けはできてた方が後が楽だなー」と。おそらく本人だって気楽でしょうね。
我が家にも間も無くの人がいると思い立ち。
そう、我が家にも最近話題のインフルエンザの予防接種を受けていきなり亡くなる一歩手前でうろうろしている家族がいるのだ。いつなくなってもおかしくない状況になったのが明らかに接種後。身近にそういう存在がいると、あ〜怖いモノなのね〜というのを信じざるおえない。そこで、その家族のものを少しずつ減らしていこうと、動き出したのだ。
そのきっかけになってくれたのが今日見た運び出しだ。
まず初めに分裂して使っていたものを「統合」して使うために運んだ。退院してくることがあったら、どうするのという理由で遠慮していたからだ。もう家族はこの家に帰ってくることはない。そう確信があるから、少し前よりかはものを動かすことにOKがでた。
畳にベットマットだけ引いて寝る。長いことそんな感じだったけどベットフレームを置いて見た。立ち上がりがしやすいしいいじゃないか。
祖母よりもはるかに若い叔父が先にあの世に旅立つ。複雑だけれど祖母は自分で自分のこともできるし、それは何よりだ。
出来るうちに、必要なことはする
祖母はまだボケてもいない。だから、なんとかそうじをしようとしても付いてくる。口ばっかりで全然手を動かさず、片付けることが本当に苦手でゴミが溜めてあったり、買ったもののタグだって大事にとってある感じ。
使えそうなものはポンポン人にあげてしまい、使わないものこそ、大事にとってある。周りの人間から見れば不思議で不思議で仕方がない。笑
何度か登場している祖母の部屋の片付けの話。
簡単にまとめると
ぐっちゃぐちゃ
↓
私が断捨離にハマっていて手を出してしまう(片付けたり捨てたり)
↓
嫌がる
↓
それでも進行した
↓
私が断捨離を辞める。考えが変わる
↓
祖母は私が片付けてくれるからと「何もやらないくなる」
私じゃ片付けられないから〜と。
↓
結局、ダメ人間にしてしまった。笑
自分を責めるようになるんですよね。周りがやってあげてしまうと。
片付けができなくてダメ人間と思う
片付けができないっていうことを悪いことだと、自分はダメなんだと思うようになって、結局自分で考えず人に頼ればいーや。ってなっちゃう。
だけどほって置いたら後々私たちが結局は片付けなきゃならない。他人事ではないんですよね。笑
だけどそもそも、祖母の家に転がり込んでるうちらが必要以上に手を出すのが間違いなんです。
なので、やらねば!と人のことをやる時間は私にとっては大事な時間ではない。になるんですよね。
そこを思い切って切り離していかないと、自分と他者との境目がうやむやの共依存になりかねません。こうなると複雑です。
人のことまで面倒みないとという線引きはどこまで手を出したらいいかわからなくなることがありますね。
うちの父方の祖母も生前にコレクターで狭い団地にこれでもかと同じものが引き詰まって暮らしていました。けど、それで、良かったんだと思うんですよ。少し遠くに住んでたから、面倒を見れなかったっというのもあるけれど。
ほんとちょっとした事だけ手伝う
壮大なことはなかなかエネルギーを膨大に消費しますよね。タンスを動かしたり、ベットを運んだり。いっぺんにやるとそれはそれは家の全体のイメージまで変わりそう。だけど、自分がたとえ家族であっても"一歩"引く、自分のことのように手を出してしまう。それをやめた時、必要以上に手を出してかたしたり、そこがダメだ、これはいらない!などという細かい判断はすることをしなくなりました。
私にとってはどうみても「ゴミ」それでも祖母にしてみたら「宝」かもしれない。
何かの思い入れがあってもなくっても、そこに置いてあるならば、それはとりあえずそのままにしておこう。そういうスタンスに変わりました。
ただただごちゃごちゃで手をつけるのも面倒!そういう負けちゃう気持ちももちろんあるのですが笑
誰かのことがとっても気になる時。案外、自分のことをみた方がいいという場合があるんですよね。周りに怒ったりする時もそうです。自分が何か向き合えていないことが案外あったりする。
だから一歩引く。そしてほんのちょこっとだけささっと出来ることを手伝う。そんな感じ。
まとめ
人のこと、自分がやれそうなことだと手伝いたくなる気持ちは出てくるものです。こうしたらもっと良くなる、こうしたら絶対いい!!しかし、その気持ちというのはその本人が思う感覚的なものであって、相手にとっては別にそうでもなかったりすることも多いのです。
それを許可を取ろうが許可を取らなかろうが、必要でないことは手出しする必要はないのかもしれません。
本当に困っていて必要なことであれば相手から訪ねてきたり、お願いされるはずです。
ものをたくさんのこされたら、のこされた私たちが困るのよ!!もちろん言いたくなります。
だけど、もののいるいらない、ゴミの捨てるペース。それぞれ個人によって違うのです。
どうしてそんなこともできないの?なんで考えてくれないの?これはいわゆるナイナイ思考。
そこに目を向ける限り、物事はうまくいかないものなのです。
他者とのあり方を考えることは私たちにとってとても面白い学びとなるのでしょう。
相手に言いたいことは、自分へ言いたいこと。