勿体無いば〜ちゃんこと、私の祖母。
祖母の部屋は本当にゴミ屋敷。だった...
本当に、邪気ってあるのだ。というのを実感せざるおえないごちゃ混ぜ、まぜこぜんの部屋が祖母の部屋。だった。
過去形になったのは私が約半年をかけて、祖母の代わりに向き合ったからなのであるが、そこに一切の「してやった」や「やってあげた」という”見返りを求める気持ちで行なっていない。
私の中での同期はただ一つ。
「家全体が、光と愛で満たされること」これが私の行動の原動力となったのである。
あんた。誰?から始まる、壮大な大掃除
忘れもしない...。いつものような、日々の日常で、祖母は、娘である母のことを「あんただれ?」と、いうのである...毎週のようにショッピングモールに行ったり、ボケないように気にかけていたつもりだった私たちだったのだが
ある日突然の、誰?宣言に、戸惑いは隠せなかった。
結構な衝撃だった。今まで過ごした楽しい日々が、なんだったのだろうか?私は一体「誰」だと思われていたのだろう?
平気なふりをしてみるも、結構な、、、ショックであったのは間違いがない。
私にとっては、おばあちゃんである「祖母」
母にとっては、母である「祖母」
その「祖母」に”あんた誰””あのおばさんだれ”と言われる。
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まだできることはあるのではないか?
確かに、現実では「あんた誰?」「あのおばさん(母)どこ行ったのかしら?」完全に他人という扱いをされた。
今までは一緒に外食をしたり、ショッピングをしていたのにこの有様。
しかし、人間というのは不思議な生き物だと私は思っている人間で、今日のあたりまえは、明日には「あたりまえ」ではない可能性がある。
と、よく考える
そう、今日は他人...でも、明日、そんな間柄に「認定」されるのかは誰にもわからない面白みがあるのでは...と、微かな期待と希望を持ち
ある決意をしたのが去年の夏頃であった。
その当時から、こまめに記事にはしてきたのだが...その当時から見えなかった、、、面白い「変化」そして「進化」がたくさんあったのだ。
物事は諦めることが必要で、そしてまた、諦めた先に別の見え方や、別の作戦があるということをよくよく考えさせられたのだ。
それから半年。祖母の意識は回復
もちろん、自分で料理をするまでには回復がまだなのだけど、出来なくなっていたことの多くはできるように回復した。スポンサーリンク
1. 家に帰る道を普通に思い出せた
いっとき、毎回、交番から電話がなり、駆けつけると、祖母が座ってる笑
そう、迷子のおばあちゃんだった。
しかし最近は交番のお世話になることなく家までちゃんと一人で帰ってこれるまでに戻った。
2 .自分の心地いいを優先できるように
今までは、何か買い物で買ってきてもこれ食べる?とか、人に優先を置いて、自己犠牲的なところがあったのですが、
最近は、変化してきて、ちゃんとご飯を食べてみたり、好きなものは食べる。
あったかくするなど、普通の人にとってはあたりまえなんだけど、祖母にとってはすごい変化!ということが起こったのです。
3 .掃除や花に水やりをするように
前は掃除も、レレれのおじさんみたいにそぶりだけだったけど、最近はちゃんと掃除を朝からしてみたり、花に水よろしく!って言ったらちゃんと水をあげるようになりました。
これには驚きの連続。
4 .自分のものの認識をする
前なら「これ、誰のかしら?」タンスに入ってたのだけどが口癖だった。
しかし、それはば〜ちゃんのだよ着てきて〜というと、そうなのね〜と認識するようになりました。
というのも、あまりに量が多すぎた下着やボロボロのふく、その他布系を地味にバレない程度に、減らしていったから、埋もれていた衣類に気づくようになり、認識することができるようになりました。
セルフネグレストとは
ところで、セルフネグレストって私は調べて初めて知ったのですが!!!簡単にいうと「自分を大切にしない人間」のこと。
例えば、自己破棄、自己放任
- 風呂に入らず不潔にしたり
- 寒いのに薄着
- 食べない
- 寝ない etc...
「自己愛」の真逆の行動といえばわかりやすいかな。
あまりいい状態ではないのはなんとなくわかるだろうか
判断能力の低下から「不衛生な環境OK」という謎の認定が起こるのだそう
私が思うに同時に自分の居場所について「迷子」になるから「時間」とか、「場所」もわからなくなって混乱するのかなと。
物事を深くかんが得ることが出来ない
うつや認知症の人の共通点は「部屋が片付けられない」気づいたら「汚部屋」になるのには
物事を”考えることができない”というほどにストレスがあることが挙げられている
つまり取捨選択能力が低下することによって
昨日までは「ごみ」と認識されていたものが
今日には「宝」かも!!!となり得るという不思議なことがおこる
祖母の部屋を見渡しても実に面白かった。
キッチンには生ゴミは放置で「虫」が6匹いた
...しかし祖母は「虫」すら認識しておらず、虫までも飼ってるかのようだった。
ドレッサーには使い終わった綿棒や貼り終わったバンドエイドが転がっていた。
まとめ
そう、セルフネグレスト、つまり、自分を自分で大切にできない人にとって、その思考のまま進んでいくと「悪化」しかそこにはない。自分自身で「考える」を諦めているのだから当然の結果なのかもしれない。
こういう場合、私は何が影響しているんだろう?私にできることはなんかあるのだろうか?と自分に問うことをした。
その結果は「とにかく要らないものを捨てること」これだけだった。
祖母が捨てることができないで、部屋にいるうじゃうじゃの邪気に思考をやられている。
それから私の「ゴーストバスター」は半年間地道にコツコツと、そして変化は壮大だったのである。
ゴミに特別な価値を見出し溜め込む=汚部屋の完成
これは以前の自分を見ているような気がして、いてもたってもいられなかった。
孤独やストレス、不安や悲しみをゴミで埋めることはできる?
答えは NO の一択だ。
その代償は実に大きいよって話。
人は、いつからでも「は!!!」っと気づき、目を覚ますことができる。
いかに、モノに、支配されていることか!
だって、答えは簡単よ、モノも肉体も、メンタルも、地球全体も、周波数だし、素粒子だからね。
つまり、認知症、うつ、多分治らないものはないのでは?